それは、恐らく投稿者側からすれば、なんでもない言葉だったのだろう。
ただ一つの切実な願いを乗せての何気ない言葉は、意図しない方向で燃え上がった。
先日シンデレラのライブ(名古屋)が行われた。
DJ KOOにほぼほぼの話題を持っていかれ、
レッスンして努力を重ねてプロデューサー側にライブを見せた声優、アイドル側の話題が上がってこなかったのがなんだかなあって感じだったのだが、
相変わらず賞賛にしても批判にしてもお気持ち表明は上がっており、りあむを盾にしたところであんま意味がなかったわけだが(まぁ本領発揮は次回の大阪であろうが)
その中の一記事が、バズった。
いつもこういうブログを上げているらしいが、他の記事を見ていないので、どういうスタンスかは知らない。
とりあえず今回のライブを賞賛している方向で話が進んでおり、クラブカルチャーがどうのとか言う話だった。
まぁ『一人のアイドルを推したいならミリオンに鞍替えする事をお勧めする』というワードもなかなかに燃えたが、
こっちは今のミリオン勢とか色々に任せるとして。
今回取り上げたいのは、こんな長い文章の一言であった。
『鷺沢文香は声優変えろ』
ブログとしての文章はたったこれだけであった。
これがまぁよく燃えた。
そして燃えたことにより思っていた意見をより詳細に書いたのは良いのだが、
さらにガソリンを投入する結果となった。
こちらとしてはその前のやりとりで二桁RT稼がせてもらった。しょぼいっちゃしょぼいがごちそうさまでしたである。
端的に言えば、
『自分は文香Pであり、一度でいいからライブで見たい。M・A・Oさんの文香が嫌いだという事ではない。が、ライブに出ないなら説明するか役から降りて欲しい。』
という事だった。
あとめちゃくちゃ声豚を嫌っていた。
こちらも持った感想を先に提示しておくが、
『ここまで声優を馬鹿に出来るものなんだな』
と素直に思った。
なんというか、今のような声優の使われ方によってのオタクの認識の成れの果てを文章として見た気がする。
簡単に言えば、彼は担当である鷺沢文香のライブが見たいという一途な思いだけであり、中は誰だって構わないのだろう。
市道が出ないのなら、他でいいという事だ。
声優という物は、声の演技でキャラクターに魂を入れる仕事であり、代わりのいない仕事というのが定説であった。
先日配信開始した声優育成ゲーム、CUE!にも『代わりのいない仕事』と書かれている
(まぁゲームの特性的にお前に言われてもなあと正直思うが、こういうゲームに出ていることは好都合なので引用した)
最近、歌って踊る声優がフィーチャーされ、それをしない声優を貶す人間まで現れている。
しかし、この歌って踊る声優はついに限界が見え始めている。
あまり起こらなかった声優交代は、我々が見える場所で割と行われ始めたのだ。
バンドリ、ナナシス、リステ、エイビ…
いや、割ととか言う次元ではないかもしれない。
その度に、ある程度荒れて、ライブかなんかでそれが形上なかった事になっていく。
結局声優交代は、ドラマにはならない。
ただの波紋と困惑を生むだけである。
それこそアイマスだって、765の雪歩役が落合祐里香(長谷優里奈)から浅倉杏美になった際、それら含めての所謂9・18事件の際のアイマスがどうであったか。
筆者はこれの当事者でないため、どれほどのものであったかは想像するしかないが、
毎年のように9/18になると何周忌と記事を更新し、
石原氏がやめた際に心の底から喜んでいそうな記事を更新しているブログが存在することや、
現存する映像を見るに、アイマスが崩壊する可能性すらあった出来事であったと思われる。
あれはアイマス2が大きな原因ではあるのだろうが、やはり声優交代も一因である。
その怖さを、アイドルマスターというコンテンツは覚えているはずだ。
歌って踊る声優というモノが定着した今、声優が変わりのいるモノになったのではないか?というばりの声優変更が見られる。
いくら二度の古傷があるにしても、花守ゆみりが膝蓋骨亜脱臼及び半月板損傷になるのは、声を主に使うはずの声優ではおかしな話のはずだし、
それで降板になるのも、本当はおかしな話なのだ。
声優は歌って踊るフィジカル面も要求され、身体的にも使い潰される職業になりつつ有る。
これは、『代わりのいる仕事』になった訳ではないのだ。
これは、今の声優業界のただ単なる闇、悲しい現状なだけである。
結局、言い方は悪いが頭数としての代わりでしかない。
後任の声優さんの苦労も偲ばれるが、どれだけ頑張った所で、前任のそのキャラは帰ってこないのである。
例え、絵が同じで、喋る事も、性格も同じでも、それは違うものである。
同じ物を目指すことは不可能だし、後任の声優さんはまた違うモノを作っていくしかない。
しかし、それについての反発や波紋が長く続くことのほうが多い。
いくらある程度の人間が受け入れようと、同じキャラは帰ってこないのだから。
それは、今アニメをやっている『Fate Grand Order』のマシュ・キリエライト等の未だに根強く存在する批判とかを見れば、分かることだろう。
(アレはあそこから生放送ラジオを始めたりと、明らかな便乗での方針転換があったことも影響しているとは思うが)
ここまで言えば、先の某Pの発言は、自分勝手な発言と言われても致し方ないだろう。
声優を交代するというリスクについて、昨今の動きでの数多くの反発と波紋を考えれば、できるだけしたくない…というのがコンテンツ側の本音であろう(武士道の一番上の人は置いておいて)
それを『ライブに出ないのであれば、納得の行く説明をしていただくか、鷺沢文香というアイドルをもっと輝ける場所に連れて行くためにも、ここは身を引いて欲しいということが、一人の文香Pとしての切実な願いです』
とか言われても、「はぁ?」以外の言葉がない。
そもそも、デレマスというコンテンツは元々リアルライブなんかする気が恐らくあまりなかったコンテンツで有ることを今一度思い出す必要性がある。
そもそも、声優をコレほど多くのキャラクターに付けることなど考えていなかったコンテンツだ。(まぁそれのせいで声ありと声無しの格差がここまで大きくなってしまったとも言える。元々の方針からずれると起こる捻れとも言えよう)
ライブに出ることが、デレマスへの忠誠心なのだろうか?
そもそも、キャラクターをここまで広げさせてくれた存在が、声優の市道真央である事を、失念しているのではないだろうか?
デレマスの声ありと声なしの格差は、もはや言うまでもないだろう。
とりわけ鷺沢文香というアイドルは、かなりの上位に優遇されているアイドルであり、ソロ楽曲がなかなか獲得できないデレマスで、すでに2曲のソロ楽曲を手にしている。
ゲーム内イベントにも多数出演しており、シンデレラガールズ劇場はシーズン1の時点でメンバー入りしていた。
この優遇っぷりは、キャラの人気もそうだが、声ありのキャラクターでないとあり得ない話だ。
そもそも、声優という仕事はキャラクターに魂を込める仕事だ。
そのキャラクターのイメージを最終的に確定させる大きな要因の一つであり、並の人間にはできない仕事であるはずだ。
とりわけ市道真央という声優は現代女性声優において、非常に上位に位置する有能声優の一人だ。
エンドロールまで分からなかったとまで言わせる幅の広さは、現代声優では有数と言えよう。
そんな声優が演じる、鷺沢文香というアイドルは、非常に良いものに仕上がっている。
発表されているのは2014年6月29日。もう既に、5年以上が経過している。
そんなもう慣れ親しんだ声を『ライブに出ないから説明するか、文香を輝かせるために身を引け』というのは、彼にとって市道真央の声の鷺沢文香との5年は一体何だったのかと考えさせられる。
彼は非常に声豚を嫌っているようで、声優目当てでアイドルを見ていない事を強調する。
自分も声優目当てでどうのするような人間は好きではないので、気持ちは分かるのだが、今回のその発言とは話が違う。
声優目当てで見ていなくとも、アイドルに声を付けるためには声優さんという存在がいてこそであること、受け取る側のキャラクター解釈にできるだけ合わせて声でキャラクターを形成していき、今の鷺沢文香がある事を理解すべきだ。
アイドルマスターの声優に『ライブに出ないなら説明しろ、身を引け』というのは、それはもう『声優を自分の好きなアイドルの声を出し、ライブをする道具』と言っているような物なのだ。
これでは彼が嫌う声豚以下のタチの悪いなにかだ。
鷺沢文香のライブが見たいという一心なのであろうが、それだけで5年半を簡単に捨てられるというのは、声優という職業の昨今の扱いによって、こういう考えをする人間も出てきてしまうのだなと、単純に悲しくなった。
そもそも、声あり、ソロ2曲、イベント常連等、他のアイドルよりもかなり優遇されておいてのこの発言であるし、
『アイドルを一人を推したいのであれば、ミリオンに鞍替えすればいい』と言っておきながら、彼は鷺沢文香を捨てられていないのだ。
コンテンツが変わるということは、好きなキャラがいないわけだ。
誰が好き好んでそんな決断をしなければならないのだろう?
ミリオンに鞍替えすればいいと言うのであれば、いつまで経ってもライブにでないCV市道真央の鷺沢文香などさっさと捨てて、他のコンテンツに鞍替えしないと、説得力という物も出ないのではないだろうか?
人にデレのライブを受け入れろ、嫌なら出ていけと言いながら、鷺沢文香がライブに出てこないことを受け入れず、声優が変われというのはとんでもないブーメランに他ならない。
確かに市道真央がライブに本当に出ない事は結構謎ではあり、(プリコネとかイロドリミドリとかに出ていることを考えると)
なにかしら明らかな事情はありそうではあるが、それを声優を変えてライブに出てきた所で、それで本当に鷺沢文香Pは喜べるのだろうか?
と考えているPの方がきっと多いと思うのだが。
いや知らんけどな?(大阪人特有の保険)
ちょっとだけ先述した『BanG Dream!』の声優交代について、某武士道の某氏が「ドラマ」と発言し、それなりの炎上となったが、この彼は同じ思考なのかもしれない。
そんなわけで、ライブに出ない声優を受け入れられないあなたには。
「ライブに出れない声優を切り、ライブをどんどんしてくれるBanG Dream!への鞍替えをお勧めします。」
というお勧めで締めたいと思う。
オタクの多様化は良くも悪くも動いてく。
声優という仕事はマイクの前に立ち、キャラに命を吹き込むものであり、本来は事前にレッスンを組んでライブに出たり、声に関係ない写真集を発売して脱いだりする仕事でない事を改めて考えないといけない時期に本当に来ているな、と思う。
今年の声優アワードは、醍醐虎汰朗と森七菜になる可能性は十分にある。(だからといって鬼滅で鬼頭明里に取られるのもなんか納得行かないんだけど)
いい加減考えないと、声優は俳優とVtuberに食われて、職業として終わりかねない。
そうなる前に、受け取る側が、今一度声優さんに演じて頂いている敬意を払おう。
業界が変わるには、業界内もそうだが、結局需要側がそれを提示していく事も大切なのだ。
…余談だが、この記事を書くにあたって声優降板の具体例を書こうと思ったのだが、あまりにも多すぎて、話の本筋からずれるので、全部没る結果になった…
藤田茜さんのナナシス降板、アレだけはここの話に該当するんだけど、
本当にあまりにも急で、あまりにも説明がなさすぎて、未だに整理がつかないし、彼女のホ―ムはデレではなくナナシスだったことは明らかだから、本当に何があったのか、5年後とかでいいから教えてほしい。
あんな謎降板は二度と起こしたらいかん…