ちゃろ~、おにじです。
今回は、ちょっとざっくり短めに、最高に頭の悪いタイトルを添えて。(?)
30分くらいで『脳死』で書きました!!!…な~んちゃって。
そんな当ブログで恐らく最もうんこみたいな記事を、適当に読んで欲しい…な~んちゃ(ry
筆者は、声優過激派として、色々と批判やらを言う感じのブログを書くことが多いとは思う。
ある程度反応を頂いた記事もあるし、正直書き始めた時からは想像もしないようなPV等も頂いており、感謝しか無いのだ。
で、まぁこういう事を書いている中で、こういうのを見るわけですよ。
流行りのコンテンツが出るたびに、それに対する考察お気持ち長文をnoteやブログに書いてる人いるけど、「そんなことまで考えながらコンテンツに触れてんのか…きも…」ぐらいにしか思えん。もっと脳死で適当に楽しめ
— おむ (@PlatyCiony) 2020年6月3日
なんというか、最近って『意見』とか『批判』を『お気持ち表明』って事にして、無視する風潮とか、『適当に楽しめ』って風潮ありません?
まぁこういうのがこの日出たのは恐らくこの記事のせい。
この記事、クッソ長いしクッソ過激だし、最後には本読めとか言い出す記事だが、クソ面白い。
少しでも”今の”VTuberに首をかしげている人ならある程度は楽しめそうな記事な気がする。
まぁとうの筆者も最近のVTuberに関しては、
「どんなにつまらなくても事務所が推して、絵描きがキャラ書いたりすりゃ適当に数万チャンネル登録がついて、人気に成り損ねた生主やら、歌い手落ちに二次元かぶせるだけでお金が飛び交って、生放送2時間の内、1分面白ければ誰かが勝手に切り抜いてくれる声優業界以上にもう終わってしまった世界」
と思っている所がなくはないので、(生主として面白いVや、筆者がブログに書くようなエロゲをプレイするVとかはたまに見ているので、全力Vアンチという訳ではない)(ここで読むのやめようと思ったやつこそ脳死してるからな?)
こういう、『過激だけど面白い』とか『過激だけど言っていることは間違ってない部分が多い』みたいな記事って、今の世の中に溢れていると思う所があるのだが、
そういうのを含めて、『お気持ち表明』の中に分類して、見ることすらせずに批判をする人間や、放っておくような所が、最近のオタク文化にあるように思える。
しかし、それって本当に正しいのだろうか?と思う所がある人間は少ないのだろうか?
『ここから出てくるのものは全部正しい』と言う盲信になっていないか?と筆者は常々思う。
自分の好きなモノであったり、興味があるものに関して、「間違った方向には進んでほしくない」と思うのは、至極当然な人間の感性だと思う。
自分の好きなモノを、他の人間にも好きになってもらった方が生きていて楽だし、
自分の好きなモノは、他の人間に批判されたくないモノである。
だからこそ、好きなモノに関しては、適当に見るのではなく、ちゃんと考えて見るのがむしろ適切なのではないだろうか?
別に常に警察やっとけ!とかそういうことを言いたいわけではないのだが、何も考えなしで脳死で楽しむってそれは最早洗脳というか、ただ雑なだけというか、アホなだけにならないだろうか?
まぁその時は脳死で見ていたとしても、ふと我に返って、「こうじゃない?」と思った事を書く場合だって存在するだろうし、
それを全部『そんな事考えてるとかキモ』とか言われたら、言っている側は冗談じゃないだろう。
確かに、特にアイマス等のコンテンツ等での『お気持ち表明』とかって、アホみたいなクソ文章である事が多いのは事実である。
主観バリバリであったり、偏見バリバリだったり、そういうのが多いのも、これまた事実であろう。
しかし、ちゃんと考えて、ある程度の根拠や方向性を示しているが為に長文になっているブログも存在する訳である。
それは『この時のこれ』みたいな具体例であったり、データや数字であったりするかもしれない。
ちゃんと的を射た主張というのも、割と存在するし、そういうのは多くRTがされ、賛否多くの意見が寄せられているというのも存在する。
しかし、そういうブログとかnoteにも『お気持ち表明』のレッテルを貼り、
見ようともしない。というのは、それは『自分の気分を害されたくない』の域を最早超えているのではないだろうか?
それはただ『自分に都合の良いモノしか見たくない』というエゴであり、盲信であり、信者に片足突っ込んでるのはないだろうか?
好きなモノだからこそ、その好きなモノが変な方向に行っていないかとか、そういうのを気にする人間というのは少なくないはずであるが、
それがどうも『キモい』らしい。
どうしてだろうか?
好きな事に理由を求めたり、
今までこういう方向性で向かっていったから、今回の新しい取り組みはその方向性があってこそのモノである…とか考えたり、
この動きは運営側の失策だろう…とか思ったり、
こういう所がこうだから好きなんだよなあ…とか思ったり、
その何が『キモい』のだろう?
好きなモノに対して出来るのが『肯定』だけになるのなら、それはただアホになるだけである。
好きだからこその『ここはもうちょっとこうして欲しいなあ』という欲や不満、『なんでこうしちゃうんだろうなあ』というモヤモヤやひっかかり、そういうのは普通の人間は出てくるはずである。
根拠のない薄っぺらい『好き』よりも、しっかりとした根拠がある『好き』の方が他人の心を掴み、説得力を産み、称賛されるべき事だと思うのだが、最近のご時世はそうではないのだろうか?
数週間前のアニメかぐや様2期の「ヤッターパンツミエター」を、
「アホになりすぎ」「3歳以下やんけw」みたいなコメントやツイートを多く見た。
実際、アレはアホ過ぎるし、あんなの思考停止以上の物では無いし、面白い場面である。
が、最近のオタクって、あのレベルで割と長時間思考停止してないだろうか?
好きなものから言われることは全て正しくて、それを否定する事は悪。
そう言ってアホな事をしているオタクというのが多すぎるのではないだろうか?
もはや『元々のモノ』とか『そのモノが一番大切にしている事』とかそんなのさえ理解せず、全く的はずれな所で称賛したり、否定したりするようなうっすい人間、多すぎないだろうか?
好きなモノだからこそ、あらゆる声に耳を傾け、自身の凝り固まった思考に刺激を与えた方が、きっとどのように言えば『好き』が伝わるかとか『上手い』が伝わるかとか、そういうのが分かると思うのだが。
(実際筆者は声優過激派で演技至上主義ではあるが、ソロ声優のCDはそこそこ買って聞いてみたりしているし、たまに全然違う考えのオタクのブログとかツイートとか、好きではないタイプの声優が出てるアニメやらラジオやらなんやらも見るように心がけている)
そりゃ好きなモノに対しての誹謗中傷とかは行き過ぎだし、そういうのは『見たくないもの』にして切り捨てればいいし、薄いクソ的はずれな『お気持ち表明』には全然文句を言ってブロックなりなんなりすればいいと思う。
しかし、『批判系ブログ』ってだけで適当に読み、的外れな記事批判をしているような人間が多すぎるし、そういうのこそ悪い意味で『脳死』しているのではないだろうか?
マスコミの見出しだけで批判するような人間がいるように、今のオタクは同じように文字が読めなさ過ぎるのではないだろうか?
人の主張をちゃんと読み解けない奴が、薄い主張をしているのはクソ滑稽であり、何の説得力もクソもない。
自分が好きなモノに対して、理由も語れないような脳死で適当に楽しむのが正義なのであれば、堕ち過ぎで救いようが無いと思うのだが。
好きなモノの中にも普通何かしらの不満はあるだろうし、そういうのを含めての『好き』なのでは?
『全部が好きで何も貶す所がない』とかそれはただの信者だよ。
気張ってその好きな物を好きになっていけとまでは言わないが、ある意味適切な距離感で、ある程度は考えてみた方がよほどまともな人間になれると思うのだが。
(筆者しぬほど演技が出来る声優が好きですが、何の不満もない声優なんていませんし)(個人の意見ですので無いという方も本当におられるのかもしれないですけどね)
当ブログでは、主張に対しての理由やらソースやらは本当に気をつけ、そういう連中に『お気持ち表明』とかほざかれないようなブログを目指していきたい。
好きだからこそ疑い、好きだからこそ違うモノには違うと言い、好きな理由をちゃんと言語化しろ。
嫌いだからこそ疑い、嫌いだからこそその中で良かった部分には良かったと言い。嫌いだからこそその嫌いをちゃんと言語化しろ。
以上。