ちゃろ~、おにじです(激寒)
この記事、ちょっと前に書いていたのだが、なんだかんだとエロゲやら声優やらでズレ込み、ここまで来てしまった。
エロゲも楽しいし、声優の話はしてはいるからね、仕方ないね(白目)
ずっとエロゲやっていた時も、なんだかんだと声優やらアニメやらの話題は多くあったりもした訳だが、よくよく考えると割と王道の話を実はこのブログでしていなかった事もあり、今回はその話題について考えていきたい。
色々ある世の中だが、アニメ映画の発表、公開というのは割と続いている所がある。
プリキュアの前のニチアサの顔だった『おジャ魔女どれみ』の系統の新作アニメ映画、『魔女見習いを探して』が遂に本日公開された。
11月27日には『君は彼方』が公開される。
恋愛小説の金字塔、2003年には実写映画化もされた『ジョゼと虎と魚たち』がアニメ映画化が決定。
両作品とも期待できそうな作品であるのだが、まぁいつものことと言えばいつもの事なのだが、主演が俳優か女優かアイドルなのである。
今や大衆向けのアニメ映画というやつは、真ん中を声優がやることがほぼないまであるという、ある意味で異常な状況とも言えるかもしれない。
「おジャ魔女どれみ」をタイトルに使わない理由 『魔女見習いをさがして』制作陣の覚悟 @Doremi_staff https://t.co/hGkcL84RER
— シネマトゥデイ (@cinematoday) 2020年11月8日
「いったん売れたからといって、タイトルだけ引き継いで内容はいくらでも替えの利く作品を作り続けているようでは、オリジナルアニメとしては失格だと考えています」等、制作陣としての覚悟が見える『魔女見習いを探して』。
なら尚の事声優を使えと思うのは声優オタクだからだろうか?(見ていた世代に声をやらせたいならその世代の声優使えば良いだけの話ですしね)(というかデジモンとプリキュアでそういう事をやってる所あるだろ東映とも思うしね)
少し前『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』がTV放送された際、内容的な面での「うーん」というツイートもよく見たが、主演である菅田将暉の声優としての演技への苦言も多く見られた。
なぜ、大衆向けアニメ映画において、主演に声優が使われないのだろうか?
今回は、この特に大衆向けのアニメ映画においての、主演が声優ではないという長年の謎、問題について考えていく。(今回は地上波アニメの映画化などではなく、映画単発の大衆向けアニメ映画に論点をできるだけ絞ってお送りする)
筆者…声優過激派とすれば勿論声優を使え!と言いたい所なのだが…
- ざっくりとした現状
- 最早声優と俳優は異なる職業では?
- もう違うものなんだから…
- 大衆向けアニメ映画に俳優女優などが使われる現実
- 声優側にも現実はある
- それでも声優使って欲しいが…
- 今の声優人気はプラスに働くのか?
- 現状では色んな意味で難しい声優主演の大衆向けアニメ映画
- 大衆向けアニメ映画よどこへ行く
ざっくりとした現状
今のアニメ映画の配役をざっくりと考えていくと、その大半が俳優・女優・アイドル・タレントのどれかに属している可能性が非常に高い。
シネマカフェという映画サイトで、アニメカテゴリで過去3年ほどの映画を見たが、多くの大衆向けアニメ映画で、この傾向が見られる。
日本中が知っているであろう、『君の名は』(神木隆之介・上白石萌音等)は勿論の事だが、一部抜粋するだけでも、
『この世界の片隅に』(のん等)、
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(広瀬すず・菅田将暉等)、
『二ノ国』(山﨑賢人等)、
『天気の子』(醍醐虎汰朗・森七菜等)、
『ぼくらの7日間戦争』(2019年版)(北村匠海・芳根京子等)
等、多くの作品で大衆向けアニメ映画のセンターは俳優、女優、又はアイドル等のタレントである事が多い。
ディズニー系統の映画も大半センター周辺はコレに該当する。
都合よくそういう作品だけ抜粋したと思われそうだが、こういう大衆向けアニメ映画において、ちゃんとセンターが声優だったのって
それこそ『聲の形』(入野自由・早見沙織等、松岡茉優声優初挑戦)とかで筆頭になってくる。(聲の形は素晴らしい作品だったと思っている)
とにかくこの始まりがジブリなのか、宮崎駿なのか、その前からなのか知らないが、現状としてこういう状態である事は事実である。
最早声優と俳優は異なる職業では?
声優という職業を考えていくと、元々は俳優や舞台俳優等の所から始まった職業であり、『役者』という部類に両方とも属されるものである。
元はと言えば同じような物であった事は、歴史的に見ても明らかだと思われる。
今も声優という職業は舞台から来た人間であったり、子役出身であったり、役者だった人間もいるのは事実である。
しかし、経路がどうであれ、声優という職業は今や声優とは別物ではないだろうか?
これは常々このブログでも書き続けていることだが、声優というものは声だけで演じる、声に特化した専門職となりつつある。(まぁマルチ化が進んでいるという事は一旦置いておいて、あくまで俳優と比較しての意で)
そういう意味で、身体と顔を使える俳優とはもはや違う分野のモノになりつつある。使える武器が少ないということは違いを出せる要素が少ない、
顔や身体が使えない、絵に頼るということは、声に感情表現をある意味で過剰にいれなければならないのだから、普通やそれ以下でやると棒に聴こえたり、”生きている感じ”が出ないと考えている。
最早声優と俳優という同類に思えていた職業の間にある方向性の違いの溝は広まる一方である。
そこまで器用なことが出来るのは、声優の仕事を高いレベルで演じている上で、今も舞台女優を続けている黒沢ともよくらいであろう。
子役時代と舞台女優としての経歴、声優としての経歴、そして現在の仕事の仕方から言ってあれは『役者』に近い存在かもしれない。(それを見れば黒沢のTwitterのbioが役者である事にはケチつけられねえなあと思いつつ)
市道真央(M・A・O)の特撮時代と今の演技の仕方の違いとかが分かりやすいだろう。
この職業は最早似て非なるモノとなりつつある。
似てるけど、もう違う。
俳優が声優のルールでやったら反則になるし、
声優が俳優のルールでやったら反則になる。そんな感じである。
もう違うものなんだから…
俳優と声優というものさえ違うのだが、まぁタレントとかアイドルとかそういうのは本当は論外であって欲しいのだが…まぁそれはそれとして。
声優と俳優が違うものであるならば、双方共干渉するべきではない…と言わざるを得ない。
勿論、俳優にも声優が「結構出来るじゃん」という人間が居ることは事実だろう。
しかし、それは結局やらせてみない事には分からないのも事実であろう。(演技の種類が違うから俳優としての演技の上手さが直結するわけではない)
という事は、俳優女優を使用することは一種の博打ということになる。
そんな博打をするくらいであれば、声の演技の経験が多いプロが居るのだから声優を使うべきである。
…のだが。
声優オタクとして、『理想』を求めていくのは重要なのだが。
これはあまりにも残念ながら理想過ぎるという事を理解して置かなければならない。
たまにはある程度の現実を見ておく必要がある。
普通に理由を並べれば、声優が使われるべき…!という論に持っていくことはある意味で簡単なわけだが、そうも行かない現実がどうもある。
今回はそういう現実について、ちょっと深堀りしておこう。
大衆向けアニメ映画に俳優女優などが使われる現実
前提として、俳優女優アイドルタレントが使われるのは何も脳死で使っているわけではないと思われる。
そこには理由が存在して、今の形になっている…と考えるべきである。
大衆は俳優女優の方が知っているという現実
当たり前と言えば当たり前だが、俳優女優という存在は、大衆に向けては声優よりも露出が高いと思われる。
そういう意味で、大衆的に名前で釣れるのは俳優女優の方であろう。
これがアイドルやタレント、芸人とかであってもその意味合いは変わらないはずである。
単発映画というのは、なんだかんだでお金の回収…興行収入が必要である。
そういう意味で、知っている名前で釣りたいという思惑はどうしても出てくるだろう。
俳優女優…特にアイドル系統の人間を入れたりすれば、それ目当てでお金を落としてくれるという所は予想される。
そういう興行収入的な意味での理由という所はあるんじゃないだろうか…?と言える。
昨今の映画制作の現実と抜け道
筆者は割と最近までこの興行収入的な『釣り』の所が一番のところだと思っていたのだが、他にも大きな理由が存在することを理解した。
大衆向けのアニメ映画に限らず、映画…特に単発の映画の場合には比重が高くなりそうな話だが、端的に言えば”予算”の点だ。
アニメ映画でも何にしても、映画を制作する際には”予算”の問題に繋がる。
30分アニメでも、ドラマであっても、それなりの予算が必要なわけだが、映画となればその何倍ものお金が必要となってくる。
そう考えるとつきまとってくるのは予算が限られるという問題だ。
無限に予算があれば良いのだが、予算は無限に湧いてこない。
昨今ならば、昔に比べれば映画一つにかけられる金の量も減少していると思われる。
予算をやりくりする事が求められる、監督とプロデューサー。
この厳しい所の『抜け道』が存在するのだ。
それが『主演に俳優女優をキャスティング』するという事である。
なぜ、俳優女優を主演にキャスティングするだけで、抜け道になるのだろうか?
それは、俳優女優に支払われるギャラは予算の中の『製作費』から支払われないからである。
ではどこから計上されるのか?それは『広告費』である。
俳優女優は、公開の少し前から朝の番組や、バラエティに出演したりして、宣伝活動に回ります。
大袈裟に言うのであれば『俳優女優』は『必要経費』というよりも『広告塔』という言い方もできる訳である。
だから俳優女優のギャラは広告費に回せる。
制作費が浮く、予算に余裕が出る。
俳優女優によってTVにも宣伝できて興行収入的メリットも有る。
予算にも、マーケティングにも、興行収入的にもメリットがある…
これは大衆アニメ映画で声優の名前が並ばないはずである。
あらゆる面においてのメリットにむしゃぶりついているのが、今の大衆アニメ映画の現実と言えるのかもしれない。
それに、大衆向けアニメ映画側だけにそのような現実があるわけでもない。
声優側にも現実はある
最近の声優界も大概目先の金に目が眩んでいる状況である。
まぁ声優界云々に関しては散々このブログでも書いてきたので、今更長々と話すつもりはないが…
ちょっと抜粋しただけでこれだけあるのだから…(一種の物申し系だろこれ
顔だ、歌だ、ダンスだ、アイドルだ、人柄だ、DJだなんだとやたらと『マルチ』という言葉を免罪符に、多くのことに手を出している声優界(全てが悪いとは言わないし、それによっての恩恵がある事は認めるが)
結果的にこれによっての恩恵よりも、”演技を度外視”し始めて、もうn年経過している。
声優の人気商売の時代に突入し、声優をある意味タレント的に使い、アイドル的に使う。
昨今は『ビジュアル登録』という枠が声優事務所内に誕生し、”ガワが可愛い”、”ガワがかっこいい”人間を契約するというのまで存在するらしい。
所謂預かりとかに関してこれがあるらしく、給料は何やっても同じだけど、ガワ晒すイベントに参加するとプラスで金がもらえる(1本アニメ出る数倍の金がもらえるらしい)とかいう地獄みたいなシステムが確立されている所も存在するまであるらしい。
これでビジュアル登録は所謂通常の預かりよりも期間が2年伸びて5年預かれるらしく、顔が良くなければ3年で判断されるのに、顔が良ければ5年見てもらえるらしい。地獄か?
声優という職業は最早看板となりつつあり、なんでも出来る職業になった結果、一番必要な要素がどこかに行ってしまった感まである。
ドル売り、ゴリ押しをした結果、ある意味でドルオタとかになるべき人間が声優界に流れてきた結果、”そういうもの”を理解せずに、大したこと無いものに金を簡単に落とすアホが増加していった訳である。
こういう”アホ”が一番カンタンに金を落とし、異様に好きなものを信頼するのは、昨今のVTuber云々が証明している。アレがVの前に声優に来ていたのである。
声優Twitterにクソキモリプを息を吐くように送るオタク、地獄である。
なお前述の『ビジュアル登録』は”ビジュアルが良すぎても駄目”らしく、ここまでアホオタクは手のひらに踊らされている。
そして、そんなアホオタクの一部をかっさらっていってくれたVTuberは、月1、2で二大巨頭が炎上し続け、声優界にまで歩を進めてきている。
そんな事もあり、コンテンツ云々とかで尚の事残念な結果となり、事務所の人材も変わったんじゃねえとかそういう雰囲気さえ感じる事務所まであったり…
結果的に声優のレベルは無事下降線、それこそ今までの声優は長く活躍して有能を続けてきた声優が存在してきた訳だが、そんな10年生き残れるような声優が今いるの??って感じである。
まぁこんな感じの方向に舵切ったのは時代と言えば時代だが…まぁそういうアニメ映画に出なくなったのも一因ではあるような気もするけども…
それでも声優使って欲しいが…
こういう書き方をすると、声優側もダメじゃん!って感じになると思うのだが、まぁ悪い所だけ書き連ねたところもあるし、ちゃんと有能は存在する(まぁ若い世代の有能率は年を追うごとに低下しているとは思うが)
まぁあと、俳優女優使うよりは流石にマシである事が多いとも思うし…(まぁ論外みたいな声優は声優と名乗って欲しくないからノーカンにしてるところもある気もするが)
まぁ、何も「声優を使ってくれ」と言っているのは、別に筆者が声優オタクだとか、声豚だからだとか(声豚には入れてほしくないけど)そういうわけではない。(それだけ言いたいなら声優側に文句とか言わないでしょ普通)
別に今の若手声優をバンバン大衆向けアニメ映画に使ってくれとは思わない。
ああいう映画でちゃんとやりたい、声豚の為の作品ではないのであれば、”ちゃんとした”、”堅実な”声優を選択するべきである。
たまに「声優を使わないのは声豚の為の作品じゃないから」とかいう人間もいるのだが、いつから声優は声豚の物になったんだろうと思う。そりゃ声豚向けの声優とか(ry
また制作費の為に、客寄せパンダの為に作品全体がぶっ壊される方が、結果的に興行収入的な痛手にはならないのだろうか?
まぁある意味で『ダメだったときの収入源』として使えなくもないが、主演によって作品が壊されて、話云々の次元すら行けないのは、作っている側として最も悲しいことなのでは?とも思える。
まぁそもそも声優という専門職がいるのに、それがセンター出来ないって声優の存在意義なんだよとも思えてくるし。
…まぁだからと言って今の声優がそこまで誇れるものなのか?と言われると…(クソデカため息)
今の声優人気はプラスに働くのか?
さて前述の通り、俳優女優というのは所謂知名度の点でアドバンテージを持っており、広告塔としても使えるという事を書いたわけだが。
そう考えると、最近の声優の人気というのは、プラスに働くのではないか?という疑問が浮かぶ人間もいるかも知れない。
最近は、TVに声優が出てくることも珍しいことではなくなっている。
『Qさま!』『ミラクル9』等での出演や、ナレーションからの本編登場であったり。
声優のTV出演数は増加、『鬼滅の刃』への出演で鬼頭明里のTV出演が異様に伸びていたりも…(あの役でTV引っ張りだこになるのちょっと可哀想になってきた、アレどこが後ろから手を引いてるんだろ)
こういうTVへの出演が多くなる事は、声優が広告塔になれる可能性を一応は妊んでいるはずであり、そういう意味では、現状を打開できる可能性はあるようにも思える。
もし声優がそういうのにも普通に出る感じになれば、声優も『広告費』側で出せるようになったり…?という事である。
とは言え、そういう感じになる可能性という時点で結構疑問な所があるし、
万が一そうなったとしても、結局特定の声優のみの恩恵となるかも可能性もある。
まだ声優がやるだけマシではあるのだが、『露出の多い声優=上手い』というような単純な話ではない事もある(それはどの職業でもそうだろうけど)
そもそも今の声優人気は、なんだかんだ全体で見れば恐らく局所的…ある意味で声豚だけの需要の所さえ存在するまである。
世間はそんなに声優でなにやってるかとか知らないのが現実だろうし、そこまでになるのは、あったとしてももっともっと今後のことのように現状のやり方では思える。
幸い『鬼滅の刃』の人気によって、多少注目のされようは変わっているし、声優使え!の流れはでき始めているようにも思うが、あくまでも『鬼滅の刃』は深夜アニメの劇場版なので、大衆向けアニメ映画ではない。
この渦が大衆向けアニメ映画にまで波及してくれるかと言えば…ちょっと難しい様にも思える。
(ただ、TVアニメ映画だからといって、映画になったら主演を俳優女優に変えるという最悪の例も存在したりするので、影響が全く無いとまでは言えないだろうけど)
(鬼滅の刃は深夜アニメからなんだから、声優使われて当然!と言った所で、大衆アニメで声優をちゃんと使ったアニメが出てくるまで待っていたら、邦画のように本職じゃない人間がうじゃうじゃいてどうしようもない状況になるだけだから仕方ないと思うよ…)
現状では色んな意味で難しい声優主演の大衆向けアニメ映画
今回取り扱っているネタというのは、ある意味で声優の事を語る上では『王道』のネタだと取り掛かる前は思っていたのだが、この系統の話は非常に難しい問題である。
「声優使え」という事は簡単に言うことが出来るのだが、現実の所をちょっとだけでも掘れば、この問題がそんな表面上の問題ではない事を理解させられてしまう。
日本映画の現状では、予算的にも、マーケティングにも…作品を壊してしまうというリスクを負ってでも俳優女優を主演に持ってくるのベターとなっている。
声優のほうが良いと思っている筆者としては、「堅実な声優選択を…」と言いたい所なのだが、現状では俳優女優の主演配置は、制作費的には堅実な選択とも言えてしまう。
ただ筆者個人の想いとしては、声優という職業自体、日本独自とも言える職業であって、そのような職業が出来て、
当初は俳優や舞台俳優の都落ちとまで言われた地位を先人の方々がここまで価値を引き上げてきた事を考えると、このような現状でセンターを声優がやらない(できない)のは悲しすぎるなと言う他無い。
このような大衆向けアニメ映画だからこそ、声優の良さという物を、別にそういう物を別に求めていないであろう一般層にちゃんと聞く機会を多く作る必要があるのではないだろうか?
なぜ専門職が脇を固めなければならないのだろうか…?
大衆向けアニメ映画よどこへ行く
そう考えていく時、筆者は今の大衆向けアニメ映画とは、どういう立ち位置なのかを考えてみた。
その中で、一つの例えにたどり着いた。
『今の大衆向けアニメ映画はエキシビジョンマッチ、又はチャリティーマッチである。』
エキシビション(エキジビション、Exhibition)は、公式記録としない公開演技や模範試合を意味する。スポーツの世界において、行われる特別実演。
フィギュアスケートや体操競技などの客前で演技するものについては、ガーラ(Gala、演技会)と呼ぶこともある。
勝ち負けのある試合を行うが、公式結果としてカウントしない物、勝ち負けの判定をそもそも行わない物、試合ではなくエキシビション専用の演目を行う物まで様々である。
急にスポーツ的な例えになって申し訳ないが、エキシビジョンマッチというのは所謂親善試合という奴で、単発の試合で大した物は懸かってはいない試合である。
サッカーとかで言えば、『キリンチャレンジカップ』とかのやつである。
いろいろな選手を試したりする場でもあるし、呼ばれる人間も多かったりする。
チャリティーマッチは、何か事故や事件、災害があった際に行われる、売上を義援金として寄付する試合である。
日本人的な記憶で言えば『東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!』(2011年3月29日)が最も記憶にあるのではないだろうか。
サッカー日本代表と、Jリーグ選抜の試合で、三浦知良のゴールはサッカーファン以外でも知っている人間は多そうである。
なぜこのエキシビジョンマッチや、チャリティーマッチと、大衆向けアニメ映画をイコール(正確にはニアリーイコールくらいだと思うが)という所に行き着いたかと言えば、まぁ細々した理由だが…
まず見たいのであれば足を運ばなければならない。
後々円盤が出るにしても、その時見に行く話に限れば、映画館という場所に向かわなければならない。
エキシビジョンマッチやチャリティーマッチだって、一部の競技や試合ならTV中継がある時も存在するが、そうでないことも多い。その場所に行かなければ見れない…という事象は存在する。
次に、エキシビジョンマッチと考えたのは、エキシビジョンマッチであれば『一番良い人間を使う必要がない』という所である。
エキシビジョンマッチというのは実質的な練習試合であって、選手の調整や、試したい選手を使ってみる試合って感じで、別に何も懸かってない(まぁ多少の賞金とかが出たりすることはもちろんあるが)からこそ、ベストメンバーで挑む必要もない訳で、ある意味で実験的要素も含まれるわけだ。
大衆向けアニメ映画も、ある意味俳優女優は声優への”挑戦”であり、”お試し”みたいなものである。よければ今後も使われるかもしれないし、ダメなら使われないかもしれない。
ベストメンバーに挑む感じではないし、ある意味で実験的要素が含まれているという事である。
今度はチャリティーマッチの要素を考えていく。
チャリティーマッチというのは、ある意味でお金を落として欲しい試合である。(寄付するのも一つの理由であるから)
来てもらう、お金を落としてもらう必要があるということは、そういう人を呼べる人間が欲しくなる。
前述の東日本大震災チャリティーマッチの際は、それが三浦知良だった訳で。簡単に言えば客寄せパンダが欲しい。客寄せパンダがいると好都合。という感じである。
この図式が、大衆向けアニメ映画とよく似ている。
来てもらう、お金を落としてもらう必要がある(興行収入的に必要)
来てもらう、お金を落としてもらう必要があるから呼べる人を呼ぶ(俳優女優を呼ぶ)
客寄せパンダが欲しい(俳優女優を呼ぶ)
客寄せパンダがいると好都合(予算的な問題で好都合)
ここまで合致してくると、チャリティーマッチなんじゃね?と思えてしまうわけである。
また、言うほどこの2つの試合という奴は個人の評価には繋がりにくい。
若い良い選手とかを持ち上げる為に使われるくらいが上限に近く、これでよかろうと悪かろうとあんまり言われない。悪くても、まぁ親善試合だし今度出てこなければ良いや程度になることも。
大衆向けアニメ映画の声優評価って意外とされないのであって、別に極端に下手くそじゃなければ良いのが現状なのだ。本田翼が本編では悪くなかったって言われるアレである。
割と言っていくとキリがないのだが、とりあえずこの辺で。共通点は多くあり、そういう雰囲気を感じるということである。
そういう意味で、今の大衆向けアニメ映画というのは、エキシビジョンマッチやチャリティーマッチのような状況で、キャスティングにベストを尽くす必要がない又は、ベストを尽くせないという事になる。
しかし、本当に『エキシビジョンマッチ』や『チャリティーマッチ』と言えるような規模だろうか?
そう考えると、大衆向けアニメ映画の目指すべき所が見えてくる。
大衆向けアニメ映画は『決勝戦』を目指すべきである。
多額の金をつぎ込んで、2時間前後の作品で、一発勝負。
『エキシビジョンマッチ』や『チャリティーマッチ』よりも、『決勝戦』の方が近いように思えないだろうか?
予算が削減されているという風潮はあるにしても、一本の作品に、2時間前後の作品に対して多くの資金を投入し、一発勝負で良いか悪いかが決まる…良ければ続編の可能性はあるとは言え、基本的に大衆向けアニメ映画というのは一発勝負の場合が多いわけだ。
そういう考え方では、『エキシビジョンマッチ』や『チャリティーマッチ』という域をどうも超えているように思える。
この2つは、勿論建前上は全力を出す事になっているとしても、一発勝負で結果が決まり、これほどまでの金が動く事はなく、調整やエンターテイメントの所が強いからである。
所謂多額の金を掛けて、努力をして、短い時間でその成果を出し、勝つか負ける…売れるか売れないかが決まる一発勝負。
緊迫感のある『決勝戦』の方が、適しているはずではないだろうか?
そのように考えるのであれば、一番"作品の出来"が良くなるもの…ベストメンバーで望むべきなのだから、主演は声優にするべきである…がなんとか成立するのではないだろうか。
せめて、広告塔的な、マーケティング的な所での俳優女優の使用は避けられないのであれば、センターは声優で、端に俳優女優を置き、地上波アニメ等の映画化でよくある所謂”ゲスト”的なポジションで上手く使うくらいの改善くらいはして欲しい所である。
前述の通り、地上波アニメ等の映画化の際はそれでまだ上手く行っている、万が一下手でもダメージ的には大きくない…という感じで成立しているのだから、それくらいなら出来るような気がするのだか…
前述で『声優のTV出演は結果的には局地的な恩恵しか無い』と書いたのだが、それは基本出てきたとしても声優の代表作がほぼほぼ深夜アニメ、あったとしても夕方アニメ程度であり、
そもそもの一般層への認知度が低いからそうなるのであって、これが多くの一般人が見る大衆向けアニメ映画に主演しているとかになれば話は変わってくるはずである。
一応認知度が高い声優は存在するわけで、その辺りにとりあえず頑張ってもらう形でも良いので、そうなっていけば良いのかもしれない(まぁ認知度が高い声優が有能とは限らないし、ちゃんとした使い方をテレビ側がしてくれるかの保証はないから微妙ではあるが)
変わってくるような事があれば、声優を起用するべきという風潮の向上の一助くらいにはなるかもしれない。認知度が上がれば、俳優女優を使う理由は…という感じに。
そうなれば、声優がちゃんと評価されるようになった上で、作品のレベルも向上という感じで、上昇気流となる可能性はある。(声優界の現状に目を背けつつ…とは言え良い声優もちゃんといるから、そこはちゃんとした選抜した上で起用すれば…まぁそれすらという事も…)
まぁマーケティング的に俳優女優で行くのであれば、マーケティング的に声優をある程度使える流れになればまた風向きが変わるんじゃないのとかそういうことである。(出てくる認知度の高い声優が有能とは(ry
少なくとも、現状の状態では、声優がメインのセンター…主演をすることがなかなか厳しいというのが現実問題として存在し、それを打開していかなければもうどうしようもない。
予算などの事情は一定理解はするが、これを改善していかなければ「演技がなあ…」と言われるような作品が量産され、ある意味で作品の内容以前の問題で批判が出てくる、”お話にならない作品”が毎年のように生まれ続ける事になる。
是正したくてもできない現状があるのかもしれないが、そこまでは流石に筆者の預かり知るところではない。(というか一概に声優使えって薄い主張はやめて、現実の所見た上で言ってるだけマシだと思って欲しい)
なんとかできない事情はそうだとしても、より良い大衆向けアニメ映画が作られる環境となっていく事を願うことしか出来ないのである。
…まぁでもその前に吹替映画から声優にしろって言うべきかもしれないが…
声優ここにありって感じでさ…
Youtubeに吹替推進委員会みたいなのあったなそういえば…
以上。