声オタおにじくんの声学審問H!

声オタおにじくんの声学審問H!

過激派で有名な(?)おにじさんが、声優の事を語ったり。

声オタおにじくんの声学審問H!


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経済の”円安ドル高”よりも、声優の”演安ドル高”の方が深刻まである

おにじと申します。

 

今回は、声優の話題。

最初に白状しておくと、この記事は『演安ドル高』という文言が思いついた所から記事を書き始めているので、当ブログで今まで書いたような事と内容が重複する場合があります。

というかそもそも筆者の声優に対しての主張というのは基本的に変わっていないので、そこはブレてないって事で、ここは一つお願いします(

 

さて、巷では世界情勢とかの影響によって、円安ドル高の傾向がかなり強くなっている。

なんというか、ちょっと前は円高円高はダメ円高はダメとか騒いでるイメージだったのだが、円安になったら円安なったで、これは悪い円安だみたいな事言っててもうよく分からんぞ!ってなりそうである(白目)

まぁ実際の所、中国とか海外の製品とかは日本円にすると確実に高くなっていたりと、諸々大変ではある。マゼピンのあの国とか、中国のコロナ政策とか、色々と情勢は大変な感じであり、その煽りを受けている形である。

この問題も色々とマジで大変ではあるのだが、『えん』安『どる』高というのは、こういう円相場とか以外でも行われているのである。(?)

 

それが声優業界である。(アニメ業界という言い方の方が良いのかもしれないけど)

『円安ドル高』ならぬ、『演安ドル高』である。(演技安、アイドル高)

端的に言えば、昨今の声優業界は、マジで演技がアホほど軽視されており、アイドル売りばっかりしている訳である。

 

先日『ラブライブ!スーパースター!!』の一年生のCVラインナップも発表されたが、まぁ純血ラブライブのスーパースター、あのライブ頻度、そもそものメンツが声優が1人みたいなもんという状況だった事を考えれば分かっていたことではある。

oniji.hatenablog.com

まぁむしろ思ったより声優の看板を持っている人間が多かったと言えるかもしれない。(新人声優が2人いたので)

とは言え、相変わらず元地下ドルもいたりと、声優とは?となっているのはお決まりの形。

まぁラブライブ純血(虹ヶ咲以外)だとこうなる方が普通ではある。

 

とは言え、最近の声優関連、とにかく地下アイドルからの声優イン多すぎ。

しかも、なんか別にちゃんと声優機関通ってきた人間のほうが少ない。

もうめちゃくちゃ。声優ってなんだよって言い続けているが、本当になんなんだろうね、声優って。

 

ということで、演技よりも顔とライブパフォーマンスと顔と歌唱力と顔が求められるクソゴミ声優業界さんを考えよう。

加速する演技軽視

声優の演技軽視が加速している。永遠に加速している。

演技というものに対しての比重が明らかに下がっており、やれマルチだなんだという形で、様々な事をしているのが現代声優である。(まぁこういう言い方をすると、昔から誰々は同じようなことやってたとか、そういうのを書かれたりするんですが、そもそもそれをやっている人間と金のかかり方諸々全然違うだろっていう話ですね)

 

そもそも、この『声優』という職業において『演技』が軽視されているって、いちばん大切なアイデンティティを蔑ろにしている行為なのだが、そういうえげつない行為がいとも簡単に行われている。

 

今の声優は、やれソロだ、やれ写真集だ、やれニコ生だ、やれDJだ、小説だ、なんだかんだと他のことばっかりやって、そっちにリソースを割かれているのが現状。

まぁ別に、色々やることに関して頭ごなしに否定したいわけではないのだが、それで演技のレベルが下がってたら本末転倒であろうという事を今回は言っていく感じでよろしく。

 

昨今は本当に顔が良いとか、歌が上手いからとか、そういうので選んでいるのが露骨なのが増え過ぎであり、それって声優じゃなくてもう三次元でアイドルやっておけよ…という話なのだが、まぁもう業界がね…うん…

 

 

声優は『声』に『優』れて、演技が上手い職人みたいなものを指すのであって、顔の良い人間に声優の看板を与えて成立するものではない

地獄なのは、「声優ってなんだよ」を地で行き続けている事である。

声優という職業は声が資本の仕事であり、声が最も重要な職業である事は『声』に『優』れると書いて声優というのでもよく分かる話である。

でもって、そんな簡単に声で優れられるものではないというのも、また事実であろう。

声優という職業にいる方々は、声一つで演技をしていく。

そういう物をやっていく為に、養成所であったり、子役とか、舞台とか、そういうものをやっていくことで、技能を身に着けて声優というものになっていく訳であり。

 

こう「じゃあやって」って言われてできるようなことではない…というのは、普通にわかってもらえると思いたい。

だって、筆者含めて、素人が「じゃあやって」って言われてそんな上手く演じれる訳なんじゃないですかそりゃそうじゃん?やった事無いし、分かんないし。

 

これは別に我々が素人だからそうなる…というだけではないはずなんですよね。

例えば、ちょっと芸能で働いているよ、とか。

芸人でコントやってるよ、とか。

そういうのがあっても、「じゃあやって」ですぐに本業と同じような演技って出来ないのが普通な訳で。

 

多少、素人よりは上手い可能性は高いとは思う。

ただ、こう違和感なく聞けるか?って言われると厳しいものがある。

まぁ最近の聞いている側の耳はバカも良い所なので(突然の暴言)違和感なく聞けるおめでたい方もいるかもしれませんが、実際違いはあります。

だって、そりゃそうでしょうよ。端的に言えばプロと素人になるわけですから。

別にそうなることを演じている側を責めるというのも、また違う話じゃないですか(使うなって話)

そんな簡単に出来るものじゃないし、それを比較するのは双方にとって失礼までありそう。

 

まぁそういう感じで、声優っていうのは簡単に出来るものじゃない訳ですよ。当たり前の話けども。

でも最近、なんか顔が良い元地下アイドルとか、グラドルとか、アイドルとか、タレントとかに、雑に声優の看板付けて『声優』として動かしたりする事例があまりにも多すぎる。

それ声優じゃないから。それ適当な顔が良い奴に声優の看板を付けた何かだから。

なんか本当に軽率にそういう事するよね最近。

まぁだいたいブシロードが絡んでるんですけどね、こういう案件。あの企業ってずっと声優という存在を侮辱し続けている企業まであるからね。

キャラクターボイスって誰でも出来ると思ってそう。

純血ラブライブとかもそうなんですけど、声優に『そのキャラクターの声をやっている素人さん』が混ざるのなんなんでしょうか。

3次元側で美人過ぎるとかやりたいだけか?とか。こういうのって基本的にライブパフォーマンスとか、生放送とか、イベントをやりまくるコンテンツであればあるほど起きるんですけども。

 

まぁそういうのを声優に求めるのもアレなんで、むしろそういう声優でもなんでもない人間をぶん回してもらった方が相対的にダメージは少ないとも言えてしまうのはアレですけど。

だってバンドリにしろ、ラブライブにしろ、ライブのためにどれだけの準備期間を割くのかって話ですからね。

あんなんまともな声優がやったら他の仕事出来なくなるまである。そんなコンテンツ作るなって話ですけど。

だからああいうのが典型的なドル売りに該当していくわけですね。

 

この前某札幌での始球式で「今の声優さんはアイドル顔負けに美人」とかでバズってたけど、まぁ片方はあの中で一番声優であるとしても、片方はアレは声優じゃねえからな(素)としか思わないんだよなあ…(

 

 

 

顔と身体が良い事で演技にプラスになること、ありゅ?

という話なんですよね。まぁ無いんですけどね。

だから声優という職業に対して、本来求めるものではないものを求めて、本来求めるものを求めていないとかいう、本末転倒な事が息をするように行われているのが今という感じである。

結局の所、声優という職業の名前が悪用されているに近いというか、そういう感じの傾向がある。

だって声優って演技するのが一番で、演技をするのは声なんだから、極論、あくまでも極論として、顔と身体が良くなくても良いわけですよね。

例えば、火事で大やけどして表舞台に出られないとかになったとしても、声さえあれば演じることはできるみたいな所もある職業ですからね。

というか、顔と身体が良いことによって演技に何か影響がありますか?声優において。

オタクを釣りたいだけなんですよね。そういうのはアイドルとかでやってくれ。

いや別に声優は美人がやるなとか、ブスであるべきとか、そんな事を言いたいわけじゃないんですよ勿論。

容姿を選ばないはずの職業でバリバリ容姿で選んでいる上に、その容姿で選んでいる人間の演技が下手くそだから言ってるんですよ。

発音の基本すら出来てないとか、抑揚ゼロとか、某とか、滑舌悪いとか、なんでそんな基本の次元で躓いているような人間が出てくるんですか?

まぁそもそも、声優を目指してきていない人間とかもいるし、当人を強い言葉で言うことは適切ではないのかもしれないが(でも下手には下手って言うよ、だって下手なんだから、事実としてね)なんでそういう人間が大量に出てくるのか。

まぁそれを選んでくるスタッフとか上の意向が如何に声優という所から離れているか、目先の金、ドル売りのことしか考えていないような能無しがどれだけ増えたかという話ですよ。

 

 

歌やダンスが大切な時代ではあるが、第一に演技であるべきである

今の時代、まぁ歌とかダンスとかが必要な時代となっていることは、間違いないし、後戻りができるような状態でもないだろう。

勿論、この辺が上手いことに越したことはない。

声優をやる人間に関しても、この辺のレベルというのは昔から考えれば本当に上がっていると思う。

2000年代とかの声優歌唱楽曲とかと、今の声優歌唱楽曲を比べれば今の方が明らかに上手いからね。

そういう所での平均の上昇という所は、普通にあると思う。

ライブパフォーマンスに関しても、確実に今のほうがいいとは思うのだが。

それはそれで普通に良いことではあると思うんだけど、それでも、あくまでも声優で一番大切なのは、演技…声を使った演技というのが第一であるべきだと思うので。

そこが前提として、オプションとしてこの辺のスキルがあるとなお良い!みたいなものが適切だと思うのだが、歌やらダンスやら、パフォーマンスやらの方をやたらと優先しているのが現状。

どんなオーディションでも、ダンスとかなんかのムービーを付けるのが必須になったとかで、そのくせ演技の方のテープとかのやつは雑になっているとかいう話もあるので、そういうところが本当によろしくないんだが。

 

 

声優が多くなったからと言って、引き出しが減りすぎ

声優の母数というのは、永遠に増え続けているという言い方すら出来るくらいには増えている。

コロナによって減った!みたいな記事が出たりもしたが、前日としてコロナ前より多少鈍化したかなくらいであり、今年の4月の新規入所声優は80人であり、多くの声優養成所などを経た新人声優が事務所へと所属していってたわけで。

oniji.hatenablog.com

声優の人気というのは高まっている事もあり、そもそもの母数という所は、昔と比べるとかなり増えたという言い方が正しいと思う。

そのため、昔ほど声の引き出しというのはたしかに必要ではなくなったのかもしれない。

色々な声優が回っていくためには、音域を一定決めてしまって使ってもらったほうが、棲み分けも出来るし、変に変えなくたって他に合う人間がいるならそれで良いということもあるだろう。

 

ただ、それにしても、最近の声優マジで声の引き出しなさすぎませんかね?

声優のアイデンティティというか大きな特徴というのは、前述している通り、演じている時に顔を出さないという事、声だけで演じるという所だ。

という事は、声さえ変えられるのであれば、色々なキャラクターを演じることが可能で、女性声優とかの場合であれば、少年役など、性別を越えることだって可能だ。

『七色の声』山寺宏一が凄いと言われるように、ああいうのが声優においての特徴というか、他の役者と言われる仕事ではなかなかできないものである(容姿というのが他は基本付いてくるからね)

 

というある意味で最大の声優の面白みとも言える要素が最近マジで減り過ぎである。

マジで何種類かのテンプレを持っていればどうにかなるみたいになりつつある。

そもそも、多分業界全体として、多くの声の種類、声色を持ちましょうっていう雰囲気がマジでなくなりつつある。それって声優である必要性あるの?って普通に思うけど、時代はそうではないんだろうねえ恐らく。

同じ声優がいっつも同じ声出して、「あっ、〇〇の声だ」って分かるんだったら、それって顔出さずに演技している意義あんの?って普通に筆者は思う人です。

 

いや、まぁ声色を変えることだけが声優の演技というわけではないのはそう。

実際、声そんなに変わらないな~って人でもめちゃくちゃ演技が上手い方、普通におられます(という事を言っておかないと質問箱とDMと引用RTで凸が本当にくるんですよね)

実際いますよそれは。でも、なんで上手いかとか、そういう印象を与えられるかっていうと、声の引き出しが少なそうでも、その中で色々と違いを見せた上で、演技が上手いみたいなところがあると思うんですよね。

 

近年の声優のよろしくない所っていうのは、そういう細かい違いという所もなく、自分の中のテンプレートで演じるという所でもあるのではないだろうか。

同系統の声のキャラクターがいるとしても、そのキャラクターはそれぞれ違う特徴を持っているはず。全く同じ声というのは考えにくいんだけど、そういうのを全く同じ声で演じてしまうみたいな場合が増えたのかなと。

本来、キャラクターが演じる人間を選ぶべきなんですよね。特に原作ありの場合は、そのキャラのイメージに合った声優さんを選出する…というのがいい作品、原作者からの理解も得られやすいと思うのですが、

最近は声優がキャラに自分の演じれる所に来い、って言ってる感じなんですよねえ…

声優が演じられる何個かのテンプレートという型に、キャラクターをはめ込んでいる感じの印象。だからキャラクターとの合致性が薄いというか違和感がある場合っていうのが出てくるというか。

キャラクターというのはそれぞれにキャラ性があって、それは固有のものなのだから、それを出来るだけ壊さないように、適した人を上手く選ぶ必要性があるのに、声優が前提で、キャラ性とかをものすごくアバウトに見た配役とか普通に有名声優でも存在するから怖いよね。

 

そもそも「キャラが来い」っていう声優ってなんなんだって話なんですけど。それは演じているのかと。それはお前が喋っている所にたまたまキャラが来てくれただけなんじゃないかとか言いたくなりますけどね…w

 

同じ系統の声のキャラクターでも、多少は印象が違うような演技をせめてしてくれないでしょうか。

そういう所の声の引き出しってどうしてもかなり違うみたいな場合のことを想起しやすいが、細かい所の調整という所も立派な引き出しの一つといえると思う。このあたりも、最近はしょぼいなあと素直に思う。

他のキャラクターが頭でちらつくっていうのは普通によろしくないし、それくらい同じような声、何種類の声をローテーションすることしか出来ない人気声優とか本当にマジで困る。せめて感情表現とかがお上手ならまだしも…ねえ?w

 

 

俳優と声優も最早別なのに、それ以下を連れてきてより次元を下げるんじゃねえよ

有名作品アニメ特有の俳優配役は、毎度その過半数以上が『下手くそ』である。

抑揚が終わっている、棒読みも良い所…そういう事態は、例え俳優であろうとも息をするように発生するのが、現実としてある。

だからもって「俳優じゃなくて声優使え」は、本当にめっちゃくちゃ前から口酸っぱく言ってきたわけだが。

 

同じ『演じる』という仕事である俳優と声優。それでも、これだけの違いというのを感じられてしまう。

これは別に俳優→声優だから成立するという話ではなく、声優→俳優でも成立する部分があるように感じる。

昨今は声優が実写で登場、という形も少なからず登場している印象がある。

まぁこれも別に違和感なくできる人もいるのだが、俳優の中に混ざると違和感があるな…と感じる場合も。

どういう風に違和感を感じるかといえば、普通に演技が浮く。

なんかめっちゃわざとらしいというか、作り物が入り込んだ感じで浮いている…みたいな事例もある。

 

こういう事例から考えて、『俳優』と『声優』というものですら、違うものになっている…という事を筆者はずっと提唱している。

これを言うと「歴史的に俳優と声優は役者として同じものである」みたいなものが何個か飛んできた上、レスバが大好きそうな底辺声優からDMが飛んできた時は本当にびっくりしたものだが(役者ってもうちょっと日本語読めると思っていました…みんながそうじゃないんやなって)

歴史的な意味で言えば、双方とも役者であり、声優は俳優のある意味で落ちこぼれというか、副業的な意味で始まった所から考えれば、起源は同じ…というか、俳優の派生が声優…というのが恐らくは正解となってくる。

この視点で言えば、確かに同じ…という言い方も出来るかもしれないし、現在であっても俳優も声優も『役者』というくくりには入るはずである。

 

これは確かに事実ではあるのだが、筆者としてはそれはあくまでも歴史的なものであり、そこから互いが変化していった結果、両者の間には簡単に飛び越えることのできない大きな溝、差というのが生まれた印象がある。

 

でもまぁ、そりゃそうと言えばそりゃそうとも言える。

俳優は身体や表情も演技の範囲だ。逆に言うと、この演じている人間の身体が見えるから、声以外にも演技をする必要がある。する必要はあるが、姿が見えるので、演じている人間の表情や雰囲気、動きが分かる。

これは、見ている側からすると、演じている人間の感情・動きが視覚情報としても100%入ってくる。そのまま、それが演じている人間…というかキャラクターである。

 

仮に目に見えるモノと、耳から聞こえてくるモノみたいに分けるのであれば、イメージとしては100と100で200になるみたいな感じ。100が上限じゃないのややこしいけど(

視界に入ってくる情報が100、声の情報が100って感じ。

両方とも完全に入ってくるから、こういう言い方も変だが、なんの劣化もないって感じ。

 

これが声優になるとどうだろうか?

声優は声だけが演技の範囲になる…いや、正確には表情とか動きもあるが、それは視聴者には見えない。というか動きに関してもマイクから離れるわけにはいかないので、それほど動けるわけでもない。

アニメなどの場合、ここに資格情報としてアニメの絵が乗っかってくるわけだが、演じている人間の身体や表情というのは前述した通り見えない。視覚情報として、見える情報は、このアニメであって、演じる人間ではないわけで。

なので、演じる人間は声だけで感情などを表現する必要性がある。

 

これが俳優とどう違うのか?というと、見える情報が制限される…という事になるのだ。

これ、アニメだからだいぶマシな部類だが、演じている人間の姿が見えない、というのは大きな情報ロスになる。

演じている人間が見えていれば、見たままが100%正解と言う言い方も出来る。その見えている姿から声が出ているのだし。

ただ、これがアニメとかになると、見えているアニメのキャラは演じている人間そのものではない。また、二次元の表情は、三次元の表情とはまた違うわけで。

勿論演じている側も、アニメの絵も、同じ感情、表情というものを表現しようとしている訳だが、それはあくまでもしようとしているだけで、完璧に同じには絶対にならないのだ(めっちゃ絵が三次元調で、演者の顔を撮影してそれをアニメに起こしました!とかいう特殊な状況なら極限まで近づけたりするかもしれないけどね?基本的な話として)

だから、あくまでもアニメとかは補助になるだけで完全な視覚情報…演者がそのまま見えている状態からは、情報量が落ちちゃうって感じなんですよね。

 

なので、さっきの俳優の演技をそのままやると、

耳から入る情報は変わらず100として、目から入る情報が80とかになっちゃって合計が180とかになって、20失われている…!って感じになる。

これが、大衆アニメにおける俳優の演技の違和感の正体…という風に筆者は考えている。

何かああいうアニメの俳優の演技って、えらい淡白だなとか、薄味だなとか、ボソボソ喋るなとか、棒読みに聞こえるなあとか、そういう印象を受ける事が多いと思う。(思わない?)

それって、俳優の時はそれで違和感がない演技になるんだけど、声優としてになると、自分の容姿が見えないからその分情報が失われてしまって、結果見る側が受け取る情報が不足して→物足りない、淡白のような印象を受けるのではないかと。

 

じゃあ声優はどうしているかっていうと、単純に言えば、普通よりオーバーに物事を演じている。

分かりやすいので言うと、息を呑む演技とかの「……ッ!」とかって、現実世界でそんな「ッ!!」って声をオーバーに出さないじゃないですか。ああいうのをちゃんと発音する事とか、感情の起伏を大きくすることで、目に入る情報で失われている分の情報量を声で補ってあげている感じ。

これで耳から入る情報が120になって、目から入る情報が80。これを足して200となって、俳優が普通に演技をする時と同じような合計の情報量で見れる…みたいな感じじゃないかなと。

 

ここまで言えば分かる人には分かると思いますが、声優が俳優をやって『わざとらしい』と感じる場合があるのは声優のときのまんま演技をして120の声の演技をして、目から入る情報は100なので、220とかになって情報量が過多になって、他とくらべて浮く…みたいな事例が発生するんじゃないかなあと。

 

非常に細かい話をしたが、分かってもらえるとありがたい(こうやって細かく書かないと揚げ足を取る人間がネットには一定数いるんだ、ごめんね…)

ざっくり言うのであれば、基本的に俳優の演技はどちらかというと自然な方向性に、声優の演技というのはどちらかというと作った、わざとらしい方向性に演じる為、向かうべき方向性が違うのである。

 

例えるのであれば、俳優と声優はサッカーとラグビーの関係みたいな感じなのではないかと。

俳優と声優は『役者』という言い方が出来るが、サッカーとラグビーは『球技』という言い方ができると思う。

 

歴史を考えると、サッカーとラグビーは同じフットボールであり、そこからサッカーとラグビーは枝分かれした訳で。(正確に言うとラグビーはローカルルールの一つだったって感じ、サッカーのルールをFAが決めた時にラグビーは分かれていった)

こういう所も、俳優の中から派生した声優というのは近いと思う。

 

ただ、現在のサッカーとラグビーのルールというのは似ている部分もあるが、かなり違う。やる場所や大きさは大差なかったり、得点を決めて多いほうが勝ち、みたいな所は同じだが、ボールの形や、ゴール・トライの違い、ラグビーは前にパスしてはいけなかったり、そもそもプレイする人数が違ったり。

似ているけど、明らかに違う部分があって、サッカーとラグビーを同じ土俵で戦わせるのは不可能である。

俳優と声優も、確かに同じ演じるものであり、役者であり、似ている所はあるのだが、俳優は身体も使って動いて演じるけど、声優は動けないし、声だけで演じるし、マイクの前で演じるか演じないかとか、この違いが演技の仕方の基本の違いを生み出していたりと、結構比較すると違いが色々とある。

 

俳優と声優という、似ていそうな所でさえ、こんな感じでかなりの違いがあって、最早別競技という言い方すら出来る訳で。(これで俳優と声優は歴史的に役者で同じです!って言ってきた人間は納得してくれるかな?そもそもこの文章が読めるのかな?)

なので、筆者は俳優と声優が最早違う、という方向性で物事を毎度言わせて頂いている。

体を動かす演技が役者の根幹ではあるのだが、それよりも声を先鋭的に磨いた感じがある声優。だから俳優としての演技とか、今や声優には直結しない部分というのも増えている印象。昔は俳優から声優の流れがあり、現在もどちらもされてる方はいますけど、より分業が進んだ…という言い方も出来るのかも。

俳優系列で声優に一番距離が近そうなのは、多分舞台俳優・女優。

大きな声で、会場内に響かせながら演じる必要性があり、こういう所が、どっちかっていうとわざとらしい演技が多い声優の演技と近い要素があるかなと。

わざとらしいという意味では、割と特撮に出演した人間が声優に…とうパターンもあるが、アレもわざとらしい側の演技に該当すると思う。なんでそういう声優は割とちゃんと声優として活躍できるのか?というのも、こういう所を考えていくと意外と理解できたりするものだ。

でもそれくらい、俳優と声優という役者のくくりで同じとされるものでも大きな差が出来ているわけで。

 

このような状態で、役者ですらない存在である地下アイドルだの、タレントだのに声優の看板をつけて、うまくやれる可能性が極めて低いことなんか分かりきっている。

まぁ別に上手さを求めてないんだとは思うが、単純に下手くそを本業じゃない所から引っ張ってくるのをやめて欲しい。

単純に全体の次元が下がって、ちょっと演技が残念とか言われるべきレベルであっても演技が良いことになったりして、全体の次元が下がるのは本当にクソとしか言いようがないというか。

 

まぁ確かに声優養成所というのも、昔から比べれば腐ったという言い方すら出来るかもしれない。

演技に対する授業での使用時間は明らかに昔よりも減っていることは間違いないようだし、その時間を歌、ダンス、化粧とかに使っているのが現状だ。

明らかに養成所でも演技の基礎を教える時間は減少しており、演技が軽視されてしまっているのが現状と言えるらしい。

まぁ化粧の時間とかあるくらいだから、そりゃ軽視されてそう感が凄いが。

ただ、それでも言うて声優養成所は声優養成所なので、地下アイドルやコスプレイヤーやら、得体の知れない何かよりは流石に技能はあると思う。

流石に負けんよ。それで負けるような時代が来たら、それはそれでもう養成所がどうなってんだってなってくると思う。昔よりはちゃんと育てられている感は薄れているとは言え(特に演技の所とかに関して)

まぁ演技のことなんて考えてないってことですよ、今は。

 

 

声でキャラクターに命を吹き込み、人の心を動かすのが声優であるはずでは?

今の声優という所は、本来あるべき声優という所から永遠にズレ続けているようなものである。

そもそもな話、声優という職業で、一番大事な存在は何か?という所がズレたことが色々な始まりなのかもしれない。

本来の話、源流などを考えていくと、声優という職業はどちらかというと、当人に日が当たるような職業でもなかった訳である。

 

あくまでも、声優で最も大切な存在というのは、演じているキャラクターの方である。

今の時代でも、一般の人間はそのアニメやらに出てきているキャラクターの方を認識するのであって、中の人が誰かとか知らない人というのは多いと思う。

あくまでも主役というのは、声優当人ではなく、声優が演じているキャラクター。だからあらゆる面でキャラクターファーストであるべきなんですよね。

だから、キャラクターに適した人間をキャスティングすることが一番大切であるはず。

ただ、これが声優当人の方に光を当てようとして、声優当人で目先の金を稼ごうとしているのが、今の声優業界である。

だから顔、身体、顔、身体、顔である。演じる上である意味で最も必要ない要素の一つというのに。馬鹿げているが、実際問題そうである。

 

別に、声優当人に光を当てるな!という事を言いたいわけではない。素晴らしい演技をするような声優というのは、それは讃えられるべきだし、表に出てきて褒められるべきである。今は、そのバランスというのが崩れて、表に出すことしか考えていないから、演技とか技量のほうがおざなりになっているという本末転倒な状態だ、という事を言いたい。

 

こういう事を言うと、誰だって最初は上手くないとか、成長を楽しめるから良いんだとか、そういう声を聞くわけだが。

そんな事、声優を追っている人間くらいしか求めていないということにオタクは気づくべきだし、キャラクターはそんな事知らないのである。

特に原作が存在する場合、下手くそをキャスティングするのは、そのキャラクターを作ってきた人間と、そのファンに対して単純に失礼なのである。

別に原作が無くとも、そのキャラクターの絵、性格をなどを作ってきたスタッフは存在するわけであって。

そういう人間がいて、一人のキャラクターが完成されているのだから、そういう人間に対してちゃんと報いる為にも、すべてが最大限、最高の形で顧客に届けられるべきである。

その成長とやらを待っている間、そのキャラクターは「コイツ下手くそだなあ」と言われ続けて、一生損をするのだが…(まぁ最近は上手い下手を聞き取れないバカ耳も増えたから本気で言ってる層もいるんだろうなあ、耳鼻科行って来いよ)

 

長期的なコンテンツなどにおける、単純に基礎が出来ていない声優のような何かが起用される場合、こういう話を本当にいっつもするし、筆者もこの事を書いたことはあるのだが、

oniji.hatenablog.com

そりゃ初期能力が低ければ低いほど、成長する可能性っていうのは確約されるに決まってるんですよね。

みなさんもゲームとかしたことあるでしょ?パワプロとか、ポケモンとか。

パワプロだったら初期能力GGGGGから始まって、GからFにするのはポイントそんなに使わないけど、CからBとかBからAにするのって大変ですよね。

ポケモンだったらLv1からLv5にするのは経験値少なくて大丈夫だけど、Lv50とか超えてくるとどんどん経験値が必要になってきて、1レベあげるのすら結構大変だったりとかしますよね。

 

ブシロード系統とか、ラブライブ系統とか、その他諸々で行われてる事って、そういう事なんですよね。

初期能力が低い所から、場数ぶん回す訳ですから。そりゃね、成長しないって事はないんだよ。

ないんだけどね?それは成長した所で、一般的な声優の水準に届くわけじゃないのよ。

他の声優はLv40とかだとして、Lv1からLv10になっただけで「〇〇は成長した!」とか「上手くなってるんだから文句言うな!」とか信者が言ってるのが、ああいうコンテンツなんですよ。

いや上手くなったか知らんけど、それまだ普通に下手やからな?ってなるやつ。

成長を見せたいコンテンツの成長することを確約することって、場数を踏ませることでも、圧倒的練習でもないんですよ。初期値がめっちゃ低い人間を置いておけば、どれだけ伸びしろが小さかろうと成長しているように見えるんだから。

 

ド素人が演技の基本の発声と、多少滑舌が良くなったりするだけも、明確に聞こえ方は変わるから、変わった様に見えるんですよ普通に。

そういうのを『成長コンテンツ』って言われても…ねぇ?w

まともにやっている声優を侮辱してるようなものですよ、ああいうのは。まぁどれだけまともにやっている声優がいるかはしらんけどね。

 

 

まぁ、スタッフも大概腐っているっぽいので、改善は無理でしょう。むしろエロゲの方がまともって何?

で、これが改善する日が来るのかと言われると、かなり厳しいと思う。

むしろ顔採用はもっと加速するのではないだろうか。今後も地下アイドルやら、タレントから引っ張ってきて声優の看板を付けるお仕事は増えていくでしょう。

(別に地下アイドルだからって偏見を持ちたいわけじゃないよ?わけじゃないけどね。現状のね、能力とかそういう所を考えればね、こういう言い方になってしまうのは大変申し訳ないけどなっちゃうのよ)

 

だってもう選ぶ側とか選ぶシステムがまともじゃないから。

声優なのに、やれ3サイズがどうの、身体のラインが見える服で写真を送れ、踊ってるビデオ送れ…と言って演技の事を見る気が本当にないのが今の時代です。

 

本当にちゃんと演技を見ていたような人間は、もう嫌気さして各所いなくなってますから。

まともそうに見えたのに、最近はあのコンテンツの声優を輩出しているくらいしかしてねえなあって事務所とか、

普通に音響サイドの人間とか、もうだいぶいませんよ。

むしろエロゲの方が演技はちゃんと見てくれるそうで。エロゲの方が厳しいらしいよ、色々と、どういうことだよ本当に。

 

衰退していると永遠に言われ続けている媒体の所に、今バリバリ人気のジャンルがそういう所で普通に負けていますって何。恥ずかしくないのかね、アニメ声優業界さん。

まぁ恥ずかしくないからドル売りしてるんですけどね。

 

昨今、ヤンジャンにしろ、何にしろ、雑誌の表紙を声優が飾るようになりましたが、アレもアイドル化の一途というか、もうAKB48とか、乃木坂とかの層ですら雑誌を買わなくなったから、未だにそういう旧媒体を買ってくれる声優オタク様の所に来ているだけですからね、供給している業界も、それを受容している消費者側も、ホントさあ…w

 

まぁ事態が好転することは願ってはいますが、『演安ドル高』は基本的には加速していくのが既定路線であろう。

声優というものは、時代と共に移り変わっていく職業であり、それを定義するのは難しい。

だからこそ、この変化も移り変わりだと言う人間もいるだろうが。

『声』に『優』って書いてるのに、声をないがしろにしている変化は、普通によろしくないのくらい分からないんだろうかと筆者は思う。

 

もう声優っていうのは名ばかりで、もう俳優とアイドルみたいなものだし、別に声優が声の仕事やらなくても良くない?とか数十年後には言われてたりして、と思いつつ、声優の衰退を今後も追っていきたいと思う。たまにいるちゃんとした声優を探しつつ。

 

以上。