…いや、過去一ひどいタイトル。
タイトルに2人で迷いまくった結果、10以上の案から選ばれたのがコレでした。
コレ以上のタイトルが思いつきませんでした。内容は割と真面目なのに。
なおこのタイトルは「トゲトゲと迷子を絡めて結束バンドのタイトルにすれば?」と言われて5秒で思いつきました。本当にすいませんでした。
おにじと申します。
もう結束バンドの話書きたくないんだよなこっちとて。書くの疲れるねん。
正直な話、もう現在における結束バンドには一種の諦めとも思える感情があり、すっかり心は離れている。(劇場総集編も見に行ってないし、ミニアルバムも買ってないし、ツアーも落ちてるし)
とはいえある程度好きな声優が固まっているのがああいう稼働の仕方をしている以上、無視をしていた所で弊害が起きてそうな状態でスルーするというのも難しいし、その上でお前だけや言ってくれるのはって感じでもありそうなので、まぁやろうかなあと(
結局の所、筆者はどういう状況であっても自分に正直であり、忖度をしないということである。
その上で、もうこの考えが変わることは、このスタンスが変わらない限りはもうないので、この記事を読んで筆者の考えを変えさせようとするような無駄な事はしないでほしい。
もうとうに冷めきっているのでこちらは。
その上で、本当にちゃんと考えている。なんでそうなのか。それをなんとなくで終わらせないということ。
それは、きっと良いことなので。誤魔化していてどうにかる話でもないからね。
冷めきっている人間よりも考えてないのもどうかと思いますし、こちらとて黙って引く程の原作からの熱でもなかった訳ですし。楽しんでいる人がいるのに文句を言うなと言うなら、それはもう全ての文句を言わせないという信者的思考になりますから、そんな物に筆者が従う訳無いでしょう?wと。
今回は『良い言い訳が思いついて開き直ったのかと思ったら、楽曲提供者前面に押して台無し!結束バンド楽曲はもはや二次創作の域』ということで一本書いていく。(過激だなあ…)
この記事は、一応『結束バンドアーティストページが出来た意味を考えるべきではある(Re:結束バンドの音楽性の論争とかの話も…)』の記事の続きとも言える内容になっているので、暇だったらそっちも読んで欲しい。暇ならで良い。
一応お気持ち表明ではないのだが、もうお気持ち表明で良いよ。めんどくさいから(お気持ち表明ではないということを説明する程の気力ももうない)
なんと言うか、評判とかを気にし過ぎて擁護し過ぎるのも良くないと思うんだよな。
筆者はそこに好きな人が関わっていようと、嫌いな人が関わっていようと、自分の気持ちと言うのには正直でいたいと言うことです。
これを見て、嫌と思う人間も、その通りだと思う人間もどちらもいると思いますが、そういうことを考えること自体はやはりいいことなんじゃないかなと思うので、筆者はこういう記事を書き続けるのです。
例えそれが好きな人間に嫌われることだったとしても、今ここまでになっていることを我慢しようとは筆者は思わないので。この行動は間違っているとは筆者は思わないと言うことです。
- 結束バンドはもう原作との乖離が凄いんだから、開き直ったほうが良い
- We willは「少し未来の結束バンドのメンバー」というコンセプトを付けてきた
- 楽曲の発表の仕方が楽曲提供者をゴリゴリに前に出す方式だった
- 結束バンドというぼっち・ざ・ろっく!のバンドのフリはもう出来ないよ、楽曲制作者を前面に押し出し始めたら
- 今の結束バンドの楽曲は二次創作に近い何かになっている
- もう二兎を追うフェーズはとうに終わっているんです。『結束バンド』というバンドを選ぶか、『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品を選ぶか、いい加減諦めて決めましょうよ。
結束バンドはもう原作との乖離が凄いんだから、開き直ったほうが良い
前の記事で、もう結束バンドは戻れない所に余裕で到達しているので、原作と今の楽曲が乖離するのは最早当たり前の次元の話でしかなく、そりゃそうだろって事は書いた。
そのうえでもう無理なんだから、原作とか関係なくロックバンドとして売りたい、色々な人引っ張ってきてそれを結束バンドに歌わせて稼ぎたいっていう本音をもう開き直って表現するべきだろって意見をした。
それを書いている間に、結束バンドアーティストページが出来たことで、一つの開き直りの形かどうか?みたいな話をしたわけである。
「ぼっち・ざ・ろっく!」というより、「結束バンド」は異様なレベルの売上を誇りすぎており、未だにBillboardでダウンロード販売で『結束バンド(アルバム)』がトップ10入ったりしていることを考えると、アニメのところを超えた存在になっていると言った方が良いだろう。
劇場総集編というアニメにおいての時間稼ぎは存在したものの、実際の追加カットは言うて知れている訳だが、それでもアホほど売上を叩き出している訳である。
各所においての取り上げられ方と言うのも、なかなかのものであり、ロックフェスへの出演は、最近のロッキンフェスのロック軽視っぷりとかも要因ではあるものの、実際に集めている人間の多さを考えると半端なものではないわけである。
これでもいまだにアニメは一期の範囲までしかないわけであり、そう言うところで考えれば、明らかに乖離していると言わざるを得ないわけである。これは揺るぎがない事実として。
こうなってしまった以上どうしようもないのだから、もう開き直るしかないわけですよ。もう原作の結束バンドとはもはや違う何かですよと。言わないといけない状況になってしまったわけである。
We willは「少し未来の結束バンドのメンバー」というコンセプトを付けてきた
と言う中で、唐突に登場した新EP『We will』。
ツアーと同名のこのEP。「このペースで増やすなんて商魂逞しいな」と思ったのだが、CDの発売は結構先で、配信が先行ということらしい。
その中で注目するべき文言が存在した。
「少し未来の結束バンドのメンバーがそれぞれデモを持ち寄り作りあげたコンセプトEP」
という文言である。
この文言は、非常に良い言い訳と言えるものであった。今回はいつもよりも更に乖離してくるぞという表明である上に、これで乖離しても「未来だから」という良い言い訳ができるようになった。
これは素晴らしい。そういう事だよ。そういう開き直りを求めていた。
どうやっても開き直りが必要な域に到達しまくっているのに、全然開き直らなかったのが問題だったので、こういう心がけは良いと言うか、前回の論争があったのももしかしたら意味があったのかもね~と思えなくはないわけである。(恐らく関係ないけど)
あ~これは良かったなあと思ったのだが、なんか普通に別の問題が発生した。
発生したというか、開き直ったのに、開き直りきれていなかった。
楽曲の発表の仕方が楽曲提供者をゴリゴリに前に出す方式だった
1日ずつ1曲発表みたいな流れになっていたのだが、この出し方が、まず誰が楽曲を提供したのか、誰が作詞して誰が作曲したのかというのを前面に押し出してくる方式になっていた。
今回はコレに関してボロクソに言うだけの記事である。
中途半端すぎる。せっかく少し未来とかいうめちゃくちゃ都合の良いかつ、ある程度の人間が、モヤってそうな人間もある程度は納得できそうな言い訳が思いついたのに、どうして楽曲提供者は誰々!!!!みたいな事を声高らかに言ってしまうのか。
今まで流石にそこまではしなかったのに。
ヒグチアイとかKANA-BOONとかですら出てからのコメントだからね。
今回は曲を出す前の煽りで誰だよ~!を前面に出した。楽曲提供者を完全に引きにしたわけ。
この意味合いの違いがどれだけ違うのかっていうのを分かってほしい所。見当違いな意見がのさばってたのでね。
なんでそこで一応2次元と地続きであることにしようとする言い訳が思いついたのに、結束バンドの曲じゃなくて他人の曲を歌っていますよみたいな事をしてしまうのか、コレがわからない。
どっちかにすればいいのに、どっちもやろうとして、八方美人しようとして全然出来てないこの中途半端さ。
どっちもはもう取れないということを未だに諦めきれていないのかなんなのか。
結束バンドというぼっち・ざ・ろっく!のバンドのフリはもう出来ないよ、楽曲制作者を前面に押し出し始めたら
前述した通り、もう結束バンドというのは、原作の域、「ぼっち・ざ・ろっく!」の域には存在しないものとなりつつあるし、これまでの動きというのも大概そうであった。
一応にもリアルバンド路線ですみたいな顔をして、長谷川育美とおっさん製作バンドズ状態であっても、人数が同じことによってリアル結束バンドである体をやっていたりもしたし(の割にロッキンでは全員CVを呼んでしまったので、この体も崩れましたが)
曲数も違うければ、ロッキンとか色々なフェスにも出まくっており、違うものであるという感じではあった。
ただ、今回の場合は、元々の延長であるという事にする二次元要素を都合よく匂わせているだけというか、そこでもう楽曲制作陣で引きを作り始めたら、もう結束バンドの曲がどうのとかではなくなってくるんじゃないの?というか。
今まで騙されているフリをしていた層も結構目が覚めちゃってるよ…って筆者は諸々の反応を見ていて感じずにはいられないのである。
勿論今までだって制作者がいたし、Xで制作者コメントも普通に出ていた訳であるが、それを楽曲発表の予告の最大の引きとして使い始めたらもう終わりなわけですよ。
それはもう結束バンドを看板として、名前として、金のなる木として使っているだけであってさ。
それはもう制作者の曲を結束バンドが歌ってるだけだよねっていうか。
持ち寄って作り上げているのは、結束バンドではなくて、楽曲提供者が持ち寄っているだけなのではないかと言いたくなってくるわけである。
もちろん実在しないのから、そりゃそうなるのは普通のことではある。
普通のことではあるのだが、そういうのは分かった上でキャラの、結束バンドのっていうのを一応にも建前としてきたというのに、それを「未来の結束バンド」と言いながら楽曲製作者で客を引きしているの、めちゃくちゃ矛盾してるぞ?って話なのである。
正直な話をすれば、「I will」は喜多郁代以外の楽曲がツアーを回るには少なすぎるから、その楽曲を増やすために、わざわざ「未来の結束バンド」というコンセプトという名の建前を作ることによって上手いこと楽曲を増やしたわけである。
なので、そもそもこのEP自体が完全にリアルの結束バンドでの稼働、これから始まるツアーのために作ったのは、タイトルからしても明らかなのである。
それに良い言い訳、建前を思いついてコンセプトまで作ったのに、そこで制作者前面に出してたら何の意味もなくなるでしょと。
ツアーで声優をぶん回す以上、少しでも負担を分配したいのは当然のことであり、現状9割型長谷川育美に歌わせるしかないみたいな状況の中で、楽曲が増えて多少はマシになるというのは、筆者も賛成以外ありえないのだが、なんでそれに伴っての押し出し方が「未来の結束バンドのそれぞれのソロ曲ですよ」だけじゃなくて「誰々が楽曲提供!」まで言ってしまうのか。じゃあ意味がないんだよ。そのコンセプトという名の建前。
まだ劇場総集編よりもキャラソン寄りだからキャラの事描きやすい楽曲なのに。一応にもキャラの事を書いているのに、そこを押し出したら他人の曲感が強くなるでしょうか。
もうリアル稼働で金を稼ぎたい、結束バンドという看板の下、声優をぶん回してリアル活動したいなら本当にそう開き直り切ればいいのに。
中途半端にまだアニメの事、キャラのこと考えてますよヅラするのがこの上なく腹立つ。
このムーブをしていてまだそれが通じると思っているのか?
もう誰々に制作して欲しいみたいな声まで出てきている。
お前らは後藤と山田の曲を聴きたいんじゃもうないんだね…と思うよ普通に。
もはや結束バンドである要素がバンドのこととバンドメンバーの事に対する激重感情を歌詞の中に入れることくらいでしかなくなってきている。
楽曲が、本当に提供者の曲そのものにより変容しつつあり、結束の曲というよりは、楽曲提供者の曲を結束が歌っているという構図により近しいものになってきているのではないかと思うのだが、それでもキャラの事をどうのとか、一生言い続けている。
結束バンドの曲って、それが入っていればもうなんでもいいのだろうか。
実際のバンド系も色々な楽曲を出すのは分かるし、同じような楽曲を作れというつもりはまったくないのだが、今やっていることは、そういうことでもないような気がする。
今の結束バンドの楽曲は二次創作に近い何かになっている
結果的に、今の結束バンド楽曲、二次創作に近い何かになっている感が凄い。
自分の領域で、描きたい物を結束バンドの要素とかを照らし合わせて作っている何か。公式というよりも同人めいてきている。有名人による同人。原作とは関係ないifみたいな感じになってきている。
いや、元々アニメとか楽曲にしろ、二次創作という言い方はできる気がする。
結束バンドというのは、実在するバンドではないし、「ぼっち・ざ・ろっく!」は漫画が原作であり、アニメはこの原作の二次創作として出来ている、楽曲もそう…みたいな言い方は出来ると思う。
ただ、今回筆者が言っている『今の結束バンドの楽曲は二次創作に近い何か』というのは、そういう意味ではない。
例えば実写化される時に感じる、設定の要素をいくつか拾っただけで、全く忠実ではなくてボロクソに言われている奴とか。
いやいや、そのキャラはそんなんじゃないでしょとか、なんでそんな余計な改変入れた?とか。
次に、公式が作る続編系で、いらない思想みたいなのが入って、晩節を汚しまくる奴とか。
仮面ライダーやプリキュアとかで結構あるが、元々の設定みたいな所を雑に押さえて、それ以外で余計な思想とか改変をして、無事黒歴史になっていくみたいなものってスクンくない。
あと、同人の二次創作系で、原作の要素を誇張して自分の好きな属性(百合にしろNTRにしろ)を作品に投影したような形の二次創作。
まぁこれは描く人の勝手だし、二次創作ってそういうものだから良いんだけど、このキャラこの作品でやる必要性なくない?みたいな事もあるような気がする。
こういう奴に最早なってきてない?って話をしている。
元々からアニメにしろ楽曲にしろ二次創作ではある。
とは言え、アニメが評価されたのは原作を基本的には原作に忠実にかつより面白く昇華出来たからであるし、楽曲もそういう所があったからだと思う。
勿論、制作サイドが今何も原作のことを考えてないことはないと思うし、そんな事を言うつもりはない。
ただ、最早結束バンドというのは看板、抑えるべきポイントさえ押さえておけば成立するものみたいな解釈をされている感じが楽曲からしても否めないんじゃないかと。
だって曲が提供者の楽曲過ぎる。ロックだったらなんでも結束バンドって事は流石にないんじゃないだろうか。バラバラ過ぎる上に提供者の曲過ぎる。
制作者の音楽の範囲で、結束バンドのエッセンスさえあればもはやなんでもいいみたいになった上で、制作者の名前を押し出して売りだしたら、それは楽曲提供者のカバーって割合の方が高くなるのよ。
もう結束バンドという看板、売れる、金の成る木が大事なのであって、その中身というのがかなり形骸化してきているように思えてならない。
最早結束バンドというお題で楽器提供者が自分たちの音楽の範囲で二次創作楽曲を作っていると考えた方が、最早精神的には楽なんだと思う。
だって原作でそんなにぼ喜多ぼ喜多~!!!じゃないけどめちゃくちゃ公式ぼ喜多じゃないですか。そういう所からですよ言えば。もう公式が公式に準ずる気がそんなにないの。そうした方が売れるから。
その考え方はもう同人の二次創作とか、実写のこの人使ったほうが数字取れるからって言って設定変えるのと大差ないのよ。
この人使えば数字取れるかなとか言いながら、作っている人間を押し出したらそれは二次創作というか、売れる道具、物として使っているようなものなんじゃあないのかいと。
ここまで楽曲方面、バンド方面ではリアルの事前提でやりきっている割に、未だにライブをZepp…ライブハウスにこだわると言うそこは無駄にこだわるんかいみたいなことしているのも非常に腹が立つ。
そこはもうアリーナ以上の箱じゃないともうダメに決まってるやろ。
なんで楽曲での思い切りは無駄に良くて、商業的に金を巻き上げたくて仕方がないくせにライブではそれをしないんだ。
年単位の前から取らないとダメだから?
箱を押さえる金がデカいから?
小さいほうが会場費安く済むから?
埋まらないリスクを取りたくないから?
そういう所が中途半端なんだよマジで。
行きたいやつには行かせてやれ。その割に配信は東京公演しかないし。何?マジで。
それでRe:Re:の舞台挨拶コメントはアジカンよりもAdoを優先して、アジカンのコメントのほうが大事だろ!って言ってたら、新曲は楽曲提供者をめちゃくちゃ押してくるって本当に何がしたいのと。
やっていることがブッレブレなんですよもう。
もう二兎を追うフェーズはとうに終わっているんです。『結束バンド』というバンドを選ぶか、『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品を選ぶか、いい加減諦めて決めましょうよ。
「ぼっち・ざ・ろっく!」は想定以上に売れすぎてしまったコンテンツとなって久しい。
おそらくは当初の想定とは全く異なる動きをせざるを得なくなってしまっている。それはもう、売れてしまうから、売れすぎてしまうのだからもうそれはある意味で仕方がないことだと思う。
資本主義である以上、ここまで売れるのであれば、様々な展開をするべきだし、コラボ等をするというのも悪いとは言えない。(それにしても全く関係性のない所とコラボするなあとは思うけども)だからそうなってしまう事に対しては、もう半分以上諦めている。
楽曲に関しても、もうリアルでの稼働をより考えてのムーブとか、楽曲制作者でより釣りに行きたいとか、そう考えるのも分からないと言うつもりはないんです。もう諦めているから。
諦めているから、もうキャラのこと考えてます、原作のキャラはこう考えているから、ここはこういう感じでこのキャラは歌うと思うから、みたいな建前・御託・言い訳はもういい加減にやめられたらどうなんでしょうか。
もう無理だって。そんなこと言ってられるんか?この楽曲で。
ゴリゴリ制作者の曲で、ギッリギリ作詞の所で結束バンド感を出すみたいな手法で、キャラのことを、未来のことを、キャラの歌い方を、作品のことを、バンドのことを考えてって言うのはもう苦しいよ。それでごまかせるような領域ではもう年単位でないんじゃないんですか?
今回のキャラソン方向強いのですら、結局こうなるんですよ?
まぁ後藤は後藤だけど。後藤はいつまでも後藤。お前の曲だけは本当に安心するわマジで。
結局大事にしているのが何なのかという話。
最早「結束バンド」という金の成る木の方が大事なのであって、「ぼっち・ざ・ろっく!」は取り残されてしまっているのかもしれない。
まぁこういうのはアニプレックスではいつもの事と言えばいつものことであり、良くも悪くもアニプレという言い方も出来てしまう。
勿論売る上で複数の方面にいい顔を見せておきたいという気持ちは理解する。理解するが、もうそういうことが出来るようなフェーズ、領域ではないくらいには結束バンドは突っ走ってしまっている。
だからもう、諦めて選択をするべきなのである。『結束バンド』というバンドを選ぶか、『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品を選ぶのか。
結束バンドという作品を基にした看板を使って、色々なリアル方向に偏った楽曲とか展開をするのか、あくまでもぼっち・ざ・ろっく!という作品に準ずることを選ぶのか。
商業的に売りたいのであれば素直にそう言えば良い。
変に原作・キャラ・原作バンドの事を考えていますよって言われても、そんな曲にはもうとうの昔からなってないんです。本当にいい加減に諦めてくれよそこは。
どのインタビューを見ても、ずーっとそういう建前ばっかり。本気で思ってるのかも知れないけど、それはもう無理だろ。だって楽曲がもう提供者の曲がほぼそのまま来てるんだぞ最早。無理だろ。なあ。
考えていたとしても、この売り方をしている時点でもう完全に開き直る以外この論争が途絶えることはまずありません。
この方向で行きたいのであれば、完全に『ぼっち・ざ・ろっく!』の『結束バンド』は捨てるしかありません。捨てないから変に論争が起きるんですよ。いい顔見せようとして出来てないから。取り繕えてないから。
本当に捨てたくないのであれば、このやり方をやめるか、さっさと二期を作ってこのリアルバンドと楽曲で声優をひたすらにぶん回し続けるクソみたいなムーブを、アニメに付随する動きという言い訳を作るかどっちかをしろ。
スタッフが他で回ってるのも分かる。すぐに二期が作れないのも理解しているから、基本的に急かすようなことは筆者はしてこなかった。
ただ良い加減に楽曲での時間稼ぎも大概にして欲しい。
それでずーっと声優がぶん回されてるの黙って見てられないよ。
いつまで舞台挨拶、生放送、ライブで声優に負担かけ続けるのよ。
稼ぐ割にツアーの箱はしょぼいし配信も一個しかないし。いつになったらアニメで稼いでくれるんですか?もう丸々二年ですよ?作っていると、作っていると言うだけで良いんですよ。キービジュ一枚で良いんです。終わりのない時間稼ぎをしながら、声優と音楽だけが分回っていくこの構図やめましょうよいい加減。丸二年我慢したんですよ。もう流石に言っても文句ないよね?
一生動かされて声優としてゆっくり首を締めていかれるの、もう見てられないよこっちは。
そもそもアーティストページが出来た時に、結束バンドのロゴが新しく出来た時点で、もう開き直りきれば良いものをそれをしないでどっちつかずにずっとやってるからややこしい問題になっているんじゃないだろうか。
今回も良い言い訳が思いついた癖に楽曲提供者を前面に押し出して台無しにしやがってホンマに。
良いからもうリアルバンドで、原作とはもう違う物として金を稼ぎたいんですって言え。資本主義の国なんだから。
そもそもスタートした時点からそんなに演奏も歌も上手いわけないんだから。
4人全員歌うことなんかないんだから。
良いから言え。言い訳御託建前はもう聞き飽きたんだよ。
公式が完全に開き直るだけで、この問題の過半数は解決するんだよ。
「もう公式は完全に開き直りきったから、諦めようね」って言えるんだよ。
もうそれで良いんだよ。もうこの売れ方で今更原作結束バンドにより準ずることなんて無理なのは分かりきってるじゃんか。それを頼むからさせてくれよ、なあ。
…結局テレビアニメの出来と、そこから跳ねたときの展開の出来というのはやるスタッフも部署も違う事になるので、全く異なり、比例する物ではないということである。
「ぼっち・ざ・ろっく」は、想定よりもあまりにも跳ね過ぎた事によっていつも通りのアニプレックスの良くないところが出てきている感じがあり、筆者としてはもう熱は冷め切ってしまった。
もう望む事は「結束バンドの声優を結束バンドで使い切らずにちゃんと声優として稼動できる余裕は残してくれ」以外最早ない。
元々から結束バンドは調理する上でのまな板だったとは思うが、最早売るための客寄せパンダの看板に成り下がっていると思う。
何にしろ、『ぼっち・ざ・ろっく!』は結束バンドが全てではないし、声優・スタッフが結束バンドに拘束され続けるべきでもない。
今公式が作っているのは、最初からあるあの結束バンドなのか、アーティストページに唐突に出てきた新しいロゴの結束バンドなのか。果たしてどちらなのだろうか。
これじゃあ『We will』じゃなくて、『Where will you?』だよ。
迷子になるのはMyGO!!!!!だけでいいし、中指を立てるのはトゲナシトゲアリだけで良いんだよ。
どこへ行く。結束バンド。
以上。