【追記】本当にひどいタイトルですが、この記事には一応続編チックなものがあります。
おにじと申します。
書いている途中に状況を変えないで欲しいんだけど。
8/14に筆者は『論争展開!Re:結束バンド!(結束バンドって、リアルにバンドなんやなあって)』というタイトルで記事を書き始めていたのだが、一つの事例で全ボツすることにした。
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— アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」公式 (@BTR_anime) 2024年8月15日
#結束バンド
アーティストページ
オープン!
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CD情報やツアー情報など
「結束バンド」の最新情報が集まる
オフィシャルサイトを開設しました🎸🥁
▼サイトはこちらhttps://t.co/2qtQIxBdBt#ぼっち・ざ・ろっく
『結束バンド』オフィシャルアーティストページが出来た。
これは諸々の意味も感じる気がする発表ではないだろうか。
今回は、『Re:結束バンド』発売時の論争とかも含めて、アーティスト『結束バンド』における話をしてみようじゃあないかということで、よろしく。
あ、結論が明確に出る記事じゃないですよ。筆者は公式じゃないので。
あ、本当に結束バンドアンチとかじゃないです。めちゃくちゃ曲聴いてるので。
筆者はあくまでも杞憂民では本当にない。
今出ている事に関して、事実を基に考えたり、指摘したりしているだけです。
どれだけ好きな事であっても、良いモノには良い、駄目なモノには駄目と言うというのが、当ブログ、及び筆者の考えなので、そこの所は本当によろしくお願いしますね。本当に。
- 結束バンドアーティストページのポジション
- 論争展開!Re:結束バンド!
- 想定外が生んでいる一生の乖離ではあるか
- でも、これが一番売れるんだから
- じゃあ結束バンドアーティストページはリアルバンドへの開き直りなの?
- 何事にも意味合いを感じられるコンテンツとなりました
結束バンドアーティストページのポジション
まず、この結束バンドアーティストページなのだが、なんかリンクの仕方がややこしくなっている。
まずURLは『https://bocchi.rocks/kessokuband/』となっており、『ぼっち・ざ・ろっく!』のアニメ公式ページの中に入っているページという形である。
続いて、『ぼっち・ざ・ろっく!』アニメ公式サイトからのリンク。
こちらは劇場版、TVアニメ版共にフッター部分に『結束バンド』リンクが追加されている。
またメニュー画面にもリンクバナーが存在する。
そして、『MUSIC』がこれまではアニメ公式サイトの中であったものが外部リンク表記となっており、こちらをクリックすると『結束バンドアーティストページ』のDiscographyのページに飛ぶようにリンクが変更された。
映画から飛ぶと劇場総集編ページに飛ぶ。
なお、「光の中へ」のリリース日をめちゃくちゃ間違えている。
という感じで、結束バンドアーティストページは、元々のMUSICページを移転した上で、各種情報や動画をまとめている記事となっている。
ただ、各種の情報である『INFO』ページは、結束バンドの音楽活動のみというわけではなく、『ぼっち・ざ・ろっく!』アニメ公式のNEWS欄と特に変わらない形となっているので、めちゃくちゃアーティスト特化サイトかと言われるとなんか微妙ではある。
ただ、スケジュールページに関しては、完全に結束バンドリアル稼働のスケジュールになっていて、ここはめちゃくちゃアーティストのサイトっぽい。
非常に立ち位置がよく分からないことになっている気もするこのページ。
どういう風に判断するのが正解なのか?
なんか思ったよりも振り切ってないと言えば、振り切っていないような、いや十分振り切っているような、そんな感じのサイトが出来上がっていた。
まぁ一つの理由としては、アニメの公式サイトのMUSIC欄で収めるには流石に展開が多すぎる楽曲という所を、こういう形でやった方が良いんじゃないの?ってのはまぁ普通にある。
これはやった方が良かった奴なので、まぁ時間の問題ではあったように思う。
ただまぁ、今回はそういう話をしたい訳ではないので。
定期的に持ち上がり続ける結束バンドの運用問題と、『Re:結束バンド』で明確に論争となった音楽性の部分に関して、ここで一つ考えてみようではないか…って感じで。
論争展開!Re:結束バンド!
ボツ記事のタイトルの一部なんだけど物騒だなあ(
8月14日、結束バンドによる1stミニアルバム『Re:結束バンド』が発売された。
こちらは、現在上映中である『劇場総集編 ぼっち・ざ・ろっく! Re:/Re:Re:』のOPEDを始めとした新曲が入っている、結束バンド4枚目のCDとなる。
『光の中へ』から結構間は空いた形となっている。
『劇場総集編 ぼっち・ざ・ろっく! Re:/Re:Re:』のOPEDは、上映開始直後にサブスクリプションでの配信などがスタートしていた為、実質的にこのCD発売タイミングにおいて実質的に発表されたのは、
いろはすのタイアップが決定し、結束バンドとしても初タイアップとなった『僕と三原色』と、全く曲名すら出ておらず、謎の状態であった『秒針少女』の二曲のみという言い方も出来た。
さて、このCDがサブスクでも解禁されて、全ての楽曲が聴ける様になったわけなのだが、ここにおいて、なんか論争というか、お気持ちというか、とりあえずそういうものが過去一で飛び交う事態となった。
これはなんで今さら?という部分もあるとは思うのだが、今回登場した『Re:結束バンド』の楽曲の雰囲気というのが、これまでとは違うと感じる人間がこれまでと比較して明らかに多かった事によりそうである。
何がそこまで違うのか?というところに関しての言語化は今回は非常に難しい所があるように感じる。
全体的な方向性として、著しくこれまでの結束バンドと決定的に変わったのか?と言われるとそこまでではないような感じもするのだが、ただこれまでと比較してのどこかの異質感を感じざるを得なかったのは、筆者も同じなのである。
全体的な感じ方にはかなり個人差があるっぽいので、今回はあくまでも世間の諸々の意見に対して、筆者も同様に思う部分があった所に絞って話した方が、それこそ適切に話せると思うので、そうさせてもらう(そうしたらお気持ち表明になっちゃうわないかは心配です)
ということで、
『これはVo:喜多郁代なのか』
『これは原作における結束バンドに則しているのか?』
この2つの論点でちょっとだけ考えてみよう(当初はこれを本筋に記事を作ろうとしてたんだけど)
これはVo:喜多郁代なのか問題
これはもう最初からずーっと言われている事ではあるのだが、改めてこれは喜多郁代が歌っている範疇に収まっているのか?という所に関して、改めて再燃した感もあるのかなと。
本当にいまさらも良いところではあり、もうその話は終わったでしょ?って感じもめちゃくちゃするのだが、まぁそれでも一生言われ続ける話であることには変わりはなさそうということでもある。
まぁ特に『秒針少女』に関しては、長谷川の歌唱力をフル活用楽曲感もある。
長谷川、めちゃくちゃ滑舌が良い。具体的に言うと2020年~2021年の間に極めて滑舌が今の水準くらいまで上がったんだけど、ここまで歌で使い切ってくるの初めてで筆者は爆笑していた(長谷川うんめえ~wwwwwってなりました)
とは言え、じゃあここまで喜多郁代が歌えんのか?って所に関しては、流石に長谷川育美の歌唱力が上がってきている現状を考えるのであれば、喜多郁代との乖離が激しくなってくるのは当たり前の話ではある。
長谷川はそもそも結束バンド時点でキャラソンが片手で数えられるレベルだった事を考えると、そりゃそうなるのだが、アニメ時空上はあの12話以降全く進んでいないのに、長谷川がバチクソ進んでいるせいでなんかおかしなことになってきているのかもしれない。バグ?
原作を既にお読みの方も多いとは思うのだが、喜多郁代というキャラクターは、アニメの範囲後に後藤の歌詞を理解するとか含めてのいわゆる覚醒イベントが存在し、そこからボーカルとしてバチクソ良くなるみたいな感じの流れがあるのだが、これはその前のはずなのである。
いやここまで喜多郁代って出来るか?と。
いやまぁ…それを言い出すと最初からそうではあって。
最初から喜多が上手すぎるだろではあるので、今更といえば今更なのだが、それにしてもここまで行って大丈夫なのか?みたいな所はある。
そりゃ『秒針少女』みたいな歌い方してたら「上手すぎるかも」って言われるだろ長谷川…ってなる。
劇場版前編OP
— 音羽-otoha- (@_______0108) 2024年8月13日
「月並みに輝け」 作曲
そして、最後まで未発表曲だった...
「秒針少女」 作詞・作曲
で携わらせていただきました
今回も喜多ちゃんの声を最大限に活かせるメロを探り、結束バンドに出会ったぼっちちゃんと自分を重ねて完全に没入した状態で言葉を紡ぎました… https://t.co/rvSn66u2ws
なお、これでいていつもの通りキャラクターを意識している系統コメントが各種コンポーザーから出るんだけども。
いやまぁ最初からはまじあきが「喜多ちゃんはなんでも歌えるんで」と言った以上(覚醒へののりしろは??はスタート時点から言っている事でしかないので今更過ぎる)
この歌い方である事にそもそもの異議は唱えるべきじゃないとは思う(まぁ原作者が全て正しい判断をするというわけではないことは、これまでの歴史を見てもそうではあるんだけども、今回はそういう話じゃないので)
なんでも出来る子というのはある中で、キャラ声という選択をしなかったわけだからね。
そんでもって、楽曲によって歌い方に違いがあるのは、意図的なものであり、それが普通だということを本当にちゃんと、マジで理解していたとしても、流石に長谷川の比率が高すぎやしないか?という部分は、やはり毎度考えるわけである。
もちろん意識していないことはないと思うし、長谷川サイドからも制作サイドからも、喜多郁代の表現をしているということは出ているし、長谷川として歌っている時と、喜多郁代として歌っている時で差異がある時があるのも間違いないとは思う。だから筆者はその全てを否定する気はまったくない。
ただ、それでもここ最近は特に長谷川が上手になっていることによって、喜多郁代との乖離というのは感じやすくなっているんじゃないかなと思う。
あくまでもこれは一例だが、喜多郁代って学生、高校生という範疇なわけだが、もう大人っぽすぎるだろみたいなところに到達している感じもするわけで。
どう解釈しても『今の喜多郁代』の域はとうに超えていて『未来の喜多郁代』とか、『メジャーデビューした大学・大人の喜多郁代』みたいな解釈をしないと無理があるんじゃないの?と思う場面はもしかしたら増えているのかもしれない。
これはまぁ、そもそも喜多郁代の歌唱声設定をしたタイミングで、長谷川は十分上手だったのだが、長谷川はキャラソンでさえ片手で収まるレベルの歌唱をしていないという現代声優業界において異例の場数のなさだったわけであり、その状態であの上手さだったのだが、なんか場数踏んでなおのことお上手になられているので、逆に問題が発生するという、上手すぎて困るみたいな状況になっている。(まぁ周りが言う程長谷川の歌が歌手とタメを張れるとまでは筆者は思いませんけど。そういうのは高垣彩陽とかをまず連れてきてですね…)
元々から『幾ら地声と歌声が違うにしても、これは違いすぎるのではないか?』という意見自体は存在したとは思うのだが、このタイミングで再燃している部分はある気はする。
まぁ、後藤ひとりの楽曲が、ずっと後藤ひとりであり続けていることによるギャップもあるのかもしれないし…
まぁでも、一応はずっと喜多郁代のつもりではいるんだろうから、ここからは聴いているサイドの個人の解釈による部分があるので…なんともね(
というかもう、コンテンツがクソデカすぎて、この解釈の分かれようがエグいとも言う。
もう演者とかスタッフとかコンポーザーの言葉で全てが制御できる領域を超えているんじゃないかね。
(まぁこういうことを言うとね、現地で聞いてないお前に何が分かるんだとか、このライブで喜多がそこにいたとか言われるのは目に見えてるんだけどね。そもそもライブ系においての『キャラがそこにいた』系を全面的に信用していないので、どうでも良いんですけど。そこにキャラはいません。そこにいるのは演者です)
結束バンドの曲としての変化
もう一つ言われているのは、今回のミニアルバムにおいての結束バンドの楽曲の雰囲気の違いというところでの論争である。
確かに、今回の楽曲、何かこれまでの結束バンドと雰囲気が違うところがあると言われている。
この言語化は難しいのだが、各所の言い方を見てみると『キレがない』『明るすぎる』『ただの青春バンドと化した』『陰が足りない』『流石にぼっちと山田でも弾けないだろ』『高校生バンドってことを制作陣は忘れてるのか』『アニメで勝負しようとせずに曲の方面に逃げた』『原作に即していない』『今後の展開をするつもりがないのか』とか本当に苦言からボロクソまで並びまくっていた(多すぎだろ)
一アルバムが出てくるにおいて、ここまで論争になる二次元バンドがいるのか。なかなかに衝撃的なところがあるようにも思える。
ただまぁ、実際に筆者も今回のミニアルバムに関しては、これまでの結束バンドとは違う傾向を感じるところがある。
このミニアルバムってリアルバンドだと4、5年経過してから出てくるミニアルバムで、ファンが揉めるやつみたいな感じのアルバムなんだよな。
このアルバム、本当に原作とアニメの時系列が飛んでるところを感じるというか、歌詞の傾向に関しても全体的に流石に明るすぎる気もする。
いや、実際のところ結束バンドと出会うことによって、後藤ひとりという女はある程度青春を歩んでいく部分があるのは確かであるし、前向きになることは間違いないので、曲が明るくなってくる、青春方向に傾いていくこと自体別におかしな話ではないのだが、それにしてもアニメの時点含めても、原作含めても流石に楽曲としての時系列が狂ってない?という感じは否めない。
今回の後藤の作詞のややこしい所は、これが未来の後藤ひとりだと仮定したとて、未来の後藤ひとりが現状を見て書くような歌詞には思えない所にもある。
後藤にしては俯瞰で見れすぎている、視野が広くなりすぎている感じがあり、その上で未来の現状を語っているわけでもない。
n年後の後藤が、めちゃくちゃ俯瞰でものを見れるようになったくらいに「そういえば結束バンド最初こんなんだったよな…」と思って考えたような歌詞みたいな言い方の方がしっくりくるくらい、最近の結束の作詞の傾向がややこしい所があるようにも思える。
これは「フラッシュバッカー」とかも該当する所があったと思うのだが、ここ最近はこの傾向が強まっており、これによって様々な解釈、および解釈違いが発生しているのではないだろうか。
まぁ今回は元々はタイアップ予定になかった『僕と三原色』がいろはすタイアップになったことで、楽曲としての明るさを増したという関係上、楽曲としてのバランスが崩れたという言い方もできるのかもしれない。
なんだかんだアルバムというのは、その中でのバランスが整っていることって重要だったりするので、そういうのが狂ったことで、現在におけるリアルの結束バンドでの、劇中で使われない楽曲においての違和感に繋がっている部分もあるのかもしれない。
これは歌詞面だけで言えるようなことでもなく、楽曲面方向にも言えはすることであり、そんなこと元々からそうなのだが、結束バンドの楽曲って最初から高校生バンドにしてはバカ難しいわけである。
それはそうなのだが、ここ最近はその難化が特に進んでいる感じはあり、流石にこの時系列の後藤や山田が弾くのか、ここまでの曲を作るのか?という所に関しては中々に疑問な部分はあるような感じはする。曲調の方向性含めて、どこまで山田が許容するのか?とかを言い出すと中々に逸脱感も否めない部分もあるわけで。
これほど多くの論争、お気持ち表明が出たということが、何よりも結束バンドの変化を感じさせる端的な言語化な気もするのだが、一応筆者としてもこういう所なのではないかという個人的な見解を述べておいた。
端的に言うのであれば、オタクというのは、コンテンツに即しているのかどうか?というところに関してはかなり気にする所であり、アニメとかの進みに対して合っているか?と言われると疑問符がつく部分もあるとなると、論争が展開されるのである。
Aliexpressで購入した後に登場する『紛争を開始する』ボタンが押されたかのような大盛況っぷりであった。(だれにも通じない比喩をするな)
しっかしまぁ、このようなバンドらしさみたいな事での、ファンによる論争というのは、大変面白いことに、実際に存在するバンドでも定期的に行われているようなものである。リアルバンドかよ、結束バンド。
世間における、ある程度売れてきたバンドというのは、タイアップとか含めてやっていくわけだが、そういう時に楽曲の傾向に変化があり、それがなんかさみしく感じたりしてしまうことというのは、結構あるんじゃないかなと思ったり。
結束バンドのムーブメントがデカすぎるがゆえの、この話の展開のされようではあるし、そうなったことで楽曲が急速に増えており、遂には外部タイアップ(まぁコラボでのタイアップではあるけど)を手に入れたりしている訳で。
結束バンドとしての稼働はもうすぐ丸二年ではあるものの、この急速っぷりは、数年間をギュッと凝縮したような感じになってるのもあるし、当初と話が違いすぎるのも含めて、「たった2年しか経っていないのに」という言葉はあまり使えないような事象な気はする。実質的なバンドとしての時の進み方は2年どころではないだろうからね。
それこそ、今回のミニアルバムで論争を作りに行った…みたいな解釈とかは流石に好意的に捉え過ぎと言うか、そういうのは楽曲でどうこうするような事ではなく、ちゃんと本筋の話と合わせてやるにしてもやるべきであり、
幾らスタッフが長く続けていく中で、1stアルバムが一番良かったみたいに言われるのも良いみたいな話をしていたとて、それをまだ丸2年も経っていない今のタイミングでやるべきではないし、そんな無駄に荒波立ててどうするの?の心配の方が流石に勝たないかい?という感じはする。
というか、ライブはZEPPっていう結束バンドのライブハウスってのを未だに遵守するのに、楽曲はメジャーデビュー以降の曲だとか、大きくなった結束バンドが…みたいな言い方で擁護するのは少し無理があるような…幾ら箱を取るのが年単位の前から取らないといけないとは言え…w
想定外が生んでいる一生の乖離ではあるか
結局の所、喜多郁代のボーカル問題にせよ、結束バンドらしさみたいな話にせよ、最初の作る段階で現状を想像できるわけがないという所に集約される感じはする。
2022年秋クール。この3ヶ月1クールの中でどれだけいい感じに曲作るのか?結束バンドを表現するのか?という所を全力で取り組むって事から始めているはず。
ここまでの人気になることなんて、流石に想定できていなかったんだろうから、それこそ喜多郁代の声設定に関しても、ある意味で多少時系列をぶち壊してでも、覚醒前だけどあの歌唱力みたいな感じに収まっている部分もあるのかもしれないし、
そもそも原作の結束バンドは1期の段階で12曲のフルアルバムなんて作れるほど楽曲を作っていないはずであるが、アニメの展開、コンテンツとしての展開上あれだけの曲数を作っている訳であり。(というかやっぱりアレが喜多郁代が内包されていますって言われてもそうか?って思わない?最初から思ってるよ筆者は)
そもそもこの『ぼっち・ざ・ろっく!』で結束バンドの曲をリアルに作って歌うぞ!ってなった時に意気揚々と掲げた拳が、もうその時点で原作とかキャラ設定とか諸々から十分に乖離していたのである。
ただ、この歌い方、楽曲含めて、本当に想像を超えるムーブメントを起こしてしまった。めちゃくちゃに売れすぎてしまった。
間違いなく、ある意味で原作から乖離した部分もあると言える歌唱力や、原作よりも楽曲数が多いとか、原作よりも技量が高いんじゃないの?みたいな楽曲群だったからこそ、これは売れたのであって、恐らくは喜多郁代に寄せまくったり、原作の技量に合わせ込み過ぎていたら、今の結束バンドの人気、売れまくりの状況はなかったのではないかと思う(売れたは売れたかもしれないけど)
ということは、この掲げた拳を下ろすことはもうできなくなってしまったわけである。
そんでもって、ここからは歌としてのハードルが爆上がりする。人気となった結束バンドの楽曲において、この拳を下ろすことは出来ない。ここからクオリティは絶対に落とせない訳である。
で、現状維持であっても恐らく何かしら言われてしまうと思う。
なので、この拳を更に高く掲げる、クオリティを上げ続けることでしか、結束バンドの楽曲への期待というのは超えられなくなってしまった訳である。
これは何でも当たり前の話と言えばそうだが、ここまでの人気になったことによって、更にその傾向が強まった…という考えである。
となると、結束バンドというあくまでも原作が存在するバンドをベースに考えていくにしても、今展開されている状況においての楽曲は、1期の間に『結束バンド』で作りきってしまった…というか、『結束バンド』ですら超えている部分もあったわけで。
となれば、そりゃここから作る楽曲というのは、現在アニメにおいて展開されている結束バンドの範疇で作るにしても、方向性が変わってきたりとか、明らかに後藤は進んでいること自体は確かなんだから、そういう傾向の楽曲とかが増えてくることは、自然な流れと言えるのではないだろうか。
とはいえ、劇場総集編が作られているとは言え、アニメとしての結束バンドの歩み、成長というものはあくまでも2022年12月末の1期最終回から停止している訳で。
元々差がそもそも存在した所から、楽曲だけがぐんぐん上がっていくわけだから、差が広がっていくわけである。
となれば、「まぁアルバムを作るうえで色々な曲が必要だよね」である程度飲み込めていた層とか、瞬間のムーブメントに全力で乗っかっていたであろう層も、一定の時間が経過することによって、そこに疑念が生まれたり、冷静になって考える時間が出来たりする訳で。
その中で今回の『Re:結束バンド』とかいう4、5年目のバンドが方向性変えてきたみたいなミニアルバムが出たらそりゃ論争にはなるんじゃないか?と、筆者は思うわけである。
でも、これが一番売れるんだから
とか、なんとか色々言ってきたが、まぁこの一言で全ては終わる。
「これが一番売れるんだから」
そう、結局今この瞬間、リアルで売れる、売るという所において、これが一番売れるのである。
コンテンツとして進められない現状でも、楽曲が、バンドが評価されている現状において、楽曲ならまだアニメとかよりも早く作れはするんだから(コンポーザーは大変そうだけど)こっちで展開してしまった方が、人々に忘れられずに済むわけである。
結局劇場総集編を終えてもアニメの2期が発表されることもなく、いい加減いつだよ感もあるにはあるのだが、
CloverWorksとかバチクソ他で動いているし、
梅原Pは逃げ若担当しているし、
多分書き終わってる気はするが、吉田恵里香は朝ドラを担当しているし、
斎藤圭一郎監督もフリーレンの方が続きを作る前提でスケジュールが組まれていそうだし、
諸々考えて、本当に2期が作れる状況なのか?って所に関しては割と疑問符がつく。
そういう中で、結束バンドは人気なのである。
だからこそ、ライブに出たり、フェスに出たり、NHKに出たりしている訳で。
今はリアルの活動の結束バンドサイドで盛り上げるみたいな方向性が、言い方は悪いが手っ取り早くて適正なのである。
だってフェスであれだけの人数集めるんだから。異常だろあの数。
だってZEPPが全く取れないんだから。異常だろあの競争率。
で、長谷川の歌唱力が求められているし、結束バンドというかバンドとしてのロックを求められている。
大変極端な事を言うが、今の人気に対して、原作の結束バンドを遵守する、喜多郁代を遵守するということは、半ば足枷になり得る要素と言っても過言ではないかもしれない。
原作から人気が乖離しすぎている以上、喜多の覚醒イベントが云々とか言ってられるのか?元々から乖離していた原作の結束バンドとの乖離に関して、考える事が今の人気のブレーキにならないか?と言われたらそれでも遵守するべき、準拠するべきと言えるのか?と言われると正直な話微妙なのではないだろうか。
もちろん、後藤が歌詞を書き、山田が楽曲を作り、喜多が歌うという文脈だからこそ結束バンドが好きだという層も確実に存在するだろう。
それは本当に素晴らしいことだと思うし、そう思っている人間がこの文章をもし読んでいるのであれば、是非その心持を忘れないでほしいとさえ思う。
ただ、現実においてそう思って聴いている層よりもこういう層の方が多い時代になってしまっているのである。
これは結束バンドが人気とか、そういう次元じゃなくて、そもそもキャラソンにおいてキャラクターの声というのを遵守・準拠ほぼさせずに声優の声でゴリッゴリに歌わせるこの時代がそれを証明してしまっていると思う。
結局どれだけ喜多郁代が~という話をコンポーザーが、演者が、スタッフが言おうと、結束バンドの新曲が出た時のTwitterにおいて、「喜多ちゃんうめえ~」って言うのか、「長谷川育美うめえ~」って言うのか、どっちの方が割合が多いのか?とか、そういう話なわけですよ。というかそりゃあの歌い方だったらそうなるだろ。
現代声優業界、現代アニメ業界って、そういうものだから。大変残念な事ではありますが。
歌にしろ、楽曲にしろ、もはや原作の結束バンドと、リアルの結束バンドにはもはや埋まることのない、マラリア海峡並の溝が、山田と後藤のようにぼっちと一人でいたいタイプの溝みたいな物が存在する訳で、それを回避することは不可避だった訳である。
だったらもう、半ば切り離してしまって全力でVo:長谷川育美が基本形のリアル結束バンドとしてぶちかましてしまうくらい開き直ってしまった方が良いのではないか?ともはや思ってしまう部分もある。
別にそんなことは今まであった。EGOISTとかもそうだし、それこそ青山吉能がいたWake Up,Girls!かて、ずっとコンテンツでやってると思ったら外部タイアップとか取り始めて普通に声優ユニットになった部分もあったし。
だってそれが一番売れるんだから。
売れることが正義ですから、この国は。資本主義なんですから。
それが売れるなら、それが正解なんですよ。
なので、時代を恨みましょう。乖離しているのは。
それで売れるんから正義な訳です。時代を恨みましょう。
本当に結束バンドが原作を離れて完全に独り歩きしたときには、今の時代を恨んでください。
じゃあ結束バンドアーティストページはリアルバンドへの開き直りなの?
ということを言っていたら、結束バンドアーティストページが出てきた訳である(コレが出てこなかったら上の話でブログ記事は終わっているはずでした)
俺「もう良いから開き直ろうよ、もうぼざろ原作との乖離とか良いから結束バンドという名前で売りたい、バンドしたい、長谷川のボーカルで良い曲作って売りたいって開き直れよぼざろ」
— \@おにじ/ (@_oniji) 2024年8月15日
ぼざろ「結束バンドアーティストページを作りました」
俺「そういう事だよ!!!!!」
と、筆者はポストした訳だが、実際の所本当に開き直ったのか?という所である。
前述した通り、作る事に他にも意味はあるものなので、これは軽率なのでは?とも思う。
ということで、めちゃくちゃしっかりこの後アーティストページを見た。
個人的な結論から言うと「完全に開き直りきったわけではないけど、一定の意思表示である部分はありそう」くらいかなと。
そもそも、現在の結束バンドの楽曲展開の多さという所を考えると、アニメ及び劇場総集編の「MUSIC」の欄において展開するにはもはや窮屈と言える内容であったことは間違いない。
というか、結束バンドの最初からの力のいれようから考えれば、なぜここまで結束バンドのページは存在しなかったのか?という言い方さえ出来てしまうのだから、アーティストページが出来るという事=完全な開き直りだ!ということは出来ないと思う。
とは言え、ここまで逆になかったのに、今作ったという所にはやはり深読みできてしまう要素があるようにも思える。
今、まさに『Re:結束バンド』が発売されたことによって、今後の結束バンドの新譜の予定は存在しない。
そして、結束バンドとしての活動が今後保証されているのは、これから始まるツアー『We Will』だけな訳である。
今作った所で、現状確定している活動とか発売が少なすぎるということである。
このタイミングでページが出来るということは、少なくとも今後何かしらの活動みたいな物を行う可能性、新譜が出る可能性というのを確実に高めるものではある(まぁ今の状況で次に何も存在しないということはありえないとは思うけど)
そして、こういうページを作るってことは、やっぱりリアルでの活動とかも今後も精力的に行っていくということなのか?という風にも感じられる訳であり、アーティストページという言い方をされると、もはや『リアルの結束バンド』と『原作の結束バンド』は違いますよという意思表示なのでは?という風に考えることも可能ではある。
実際にフェスで歌うとかに際しては、原作との乖離があるということは演者スタッフ共に自覚は存在するみたいなので、そういう所の自覚みたいなものがページとしても現れた…みたいな言い方もできるかもしれない。
それこそ、『DISCOGRAPHY』のページにおいては一応配信で分けたとて、13枚しか存在しないアートワークに対して、アルバム・シングルは分かるにしてもOP、ED、劇場総集編、TVシリーズ、OTHERSみたいに分かれまくっているのは、今後も増えていくぞという暗示なのかもしれない。
それこそ「いろはす」でタイアップしたが、今後は本当に結束バンドが何かしらアニプレ作品のOPEDを務めるみたいなことだってなくはないかもしれない。(バンドリくんがブシロード作品でやってるみたいに…なんかそういうとめちゃくちゃしょぼく感じるな…)
前述した通り『SCHEDULE』の所は、リアルでの結束バンドにおけるライブ・フェスの情報のみが登場している訳で、今後もフェス、ライブに出る気は恐らく満々なわけである。
こういう所から見ても、リアル結束バンドの回転数が落ちることはまぁないだろうという風にも考えられる訳で、中々に開き直っているのでは?という言い方もできそうではある。
まぁとは言え、じゃあ完全に開き直りきったのか?と言われると全然そんなことはないと思う。
トップページ見てもちゃんとキャラクターの名前があるわけだし。
ここで声優の名前とかが出てたら、それはもう完全に開き直りましたお疲れ様でしたという感じだと思うが、そういうことはなかった。
開き直り切るのであれば、メンバーページでも作って、声優の写真並べとけば良いわけだが、そういうこともない訳で(まぁ声優を並べたとて、リアルバンドでは1ボーカルに4,5おっさんだろって言われるんだろうからどっちにしろ掲載しない方が良いとは思うけど)
前述した通り『INFO』欄はめちゃくちゃアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』のINFOが流れまくっているし、外部リンクに関しても、舞台側はなくアニメ側だけ貼られていたりもするので、『結束バンド』という概念のサイトという訳でもない。
アニメ公式の『MUSIC』ページが『DISCOGRAPHY』に飛ぶように、URLがあくまでも『
https://bocchi.rocks/kessokuband/』であるように、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の結束バンドのページである事から、あくまでも情報を整理しやすいようにページを分けたという言い方も全然出来るとも思う。
なのでまぁ、正直このページが出来た事で、明確に開き直ったかと言われるとそうではないんじゃないかなと思いはする。
これまでにおける『結束バンドを、キャラクターを意識しています』の言葉に、原作との乖離は起きてますよねの状況から、そこまで大きく山が動くみたいな事は…ないのかなと。
まぁ、リアルを意識している感じはする要素は増えたは増えたので、何も変わっていないことはないとは思うけど、少なくとも完全に独立させるつもりなんだ!と言える程決定的なものではないのかなと。
最大限独立させたんだ方向に近づけた言い方をするのであれば『結束バンドというぼっち・ざ・ろっく!に存在するバンドをベースに、リアルの活動を今後も続けていきそう』くらいにしか言えないんじゃないかなあと。これでもだいぶ無理やりだと思うし。
いや、本当に原作を捨てた!とか、長谷川育美とバックバンドでリアル活動するつもりなんだ…とまではこの内容では言えんだろ。って感じ。
…まぁ、前述のスケジュール面でアニメ2期発表できる状態なの?とは思うから、羽田での発表が2期じゃなくて、リアル結束バンドの情報(追加公演をする・フェスに出る・ライブに出る・何かしら別のタイアップを持ってくる)の可能性が上がったかなあとは思うけど。
それこそ、羽田での発表が今後の結束バンドの姿勢を決定づける可能性はありそうだけどね。これで本当にアニメタイアップとか持ってきたら、「あっ本当に開き直ったんだ」って言えるんじゃないかなとも思うし。
何事にも意味合いを感じられるコンテンツとなりました
『Re:結束バンド』にしても、今回のアーティストページ開設にしても、まぁ大きな動きではあるのだが、それにしてもその意味合いみたいな物を考えられすぎと言えばそうではある。
まぁ、あのようなミニアルバム出して、その翌日にアーティストページ作りました!って言われたら、音楽性の所が言われている所で、独立ページ作られると、これは分けて考えるべきかもしれない…って言われるのは致し方ない事ではあると思う(そういう意思表示として受け取られても致し方ないかなと)
まぁでも、それにしても諸々意味みたいな物を考えられるコンテンツになったなと。
母数が大きくなると、こういう話題って加熱しがちではあるんだけども、誰が『ぼっち・ざ・ろっく!』で『結束バンド』でこうなることが予想できたのか。
こういう作品にしたのは、間違いなく作ってきたメンバー、演者、コンポーザーがあってこそであること自体は絶対に忘れては行けないと思う。
本当にいい作品、いい楽曲を作っているからこそ、こういう話が出来るわけである。
筆者が京まふの記事を書いた時、こんなことになるなんて思いもしなかったんだからさw筆者は長谷川が大阪に来ることなんてもう何年もないだろうからって思って行っただけと言えばだけなんだから(
今のように『ぼっち・ざ・ろっく!』が大正義になって、長谷川育美の歌唱が評価される世界線になることなんて微塵も想像していませんでしたとも。
大きくなっていくにあたって、どうしても変わっていくことというのは存在すると思う。それは、別に何であってもそうなんじゃないかなと。
バンドだってそうなはずではある。たまたま結束バンドは原作という存在があることで、リアルの成長が早すぎてなおのことゴチャ付いているだけで。
コンテンツとかが大きくなっていくことに、ある意味での遊びみたいな部分は消え失せていってしまうこともある。そういうのは本当にウマ娘とかで感じる部分はある。
ただまぁ、人気コンテンツというのは、それだけ金になるコンテンツでもあるので、どれだけ新規を獲得していきながら、忘れられずに生きていくのかみたいな部分もあるわけで、それは売るという中で、資本主義である以上仕方ないと思う。
そういう物を楽しめる余裕みたいなのがあれば、諸々全てを楽しく生きていけるのかもしれないが…まぁ難しいよね。
結束バンド、ぼっち・ざ・ろっく!は、想定外の塊みたいな存在なので、今後どうなっていくのか。とりあえずツアーがどうなるかを見ていくことが、最初になりそうである。
なお、大半の人間は現地落ちてるんだけど(筆者も大阪落ちてます)
まぁ~、こういう大きくなるコンテンツっていうのは、それなりに大衆に向けての方向性が強くなるので、気に入らない動きみたいなものが出てくることというのは、これまでのコンテンツにしろ何にしろ当たり前であって、そうなった時は素直に離れる、金を落とすのをやめる方が良いと思います。
自分が対象じゃなくなった時に、無理にしがみつく必要はそこまでない気がします。それだけ娯楽は他にも溢れている訳で。幾ら過去のそのコンテンツが好きでも、そのコンテンツが戻ってくることはありませんからね。
大人しく離れていいんですよ。離れたとて母数が多いんだから影響ないんだから。
楽しめる時にしっかり楽しんでおきましょう。人生において楽しめることは多いほうが良いんですから。
しかし本当に、こういう事に全て意味合いを考えられるコンテンツとか、作ってる側の苦労ったらないだろうなあ…w
ともかく、議論が行われるというのは、ちゃんとコンテンツが進んでいる証だとは思うので良いのではないでしょうか?
え、長谷川オタクの筆者はどう思うのかって?筆者にそんな余裕もクソもあるわけないですよ?(ないんかい!)
現代声優業界絶望男である所の筆者に余裕もクソもありません(
いや、結束バンドってリアルバンドとしては健全な作りになっていて、演奏しなくて良いのは本当に良いんですけど、ほぼ長谷川が歌ってますから、長谷川へのリアル稼働の負担が80%くらいあるんで、本当にただ心配ですね。ハイ。
筆者はただただ長谷川が結束バンドのボーカルで終わらないことと、長谷川がぶっ倒れないことを祈るだけですよ本当に。声優長谷川育美が好きなので。
筆者が長谷川が対象外になった時は、それは声優オタクからの隠居表明になるので、まぁそうはならんようにしてもらえればなんでもいいです…(現代声優業界にしがみつく理由、長谷川くらいしかないですからね)
演じている長谷川育美が好きなので、そっちの仕事がちゃんとあって長谷川がぶっ倒れないならなんでもいいです。まぁそんなこと出来るかは知らないですけど。
別に歌ってる長谷川も好きだし、上手いと思うから良いけどね。でも今のところ秋1本しかねえし、どうしてくれるんだよ結束バンド。長谷川がボーカルであることで負担が集中しすぎるのどうにかしろカス。長谷川がぶっ倒れたら真っ先に結束バンドのせいにします。長谷川がライブ出まくってるの気にしなくて楽しんでほしいとかもはや無理な域なんだよな。俺は歌ってるお前が見たいんじゃなくて演じているお前が見たいんだよ。
いや、なんか最後だけ明確にお気持ち表明っぽくなってね?まっ、どうせ全部お気持ち表明だって言う奴いるし、なんでもいっかあ…(白目)
1.5万文字もただのお気持ち表明で書くかいなとは思うけども…(諸々真剣に向き合うタイプなんです…)
以上。