卑怯なのはあなたです。
— 佐藤利奈 (@rinasatoh) 2021年5月31日
私の大切な人を巻き込み、傷つけるならば容赦はしません。
私に話したいことがあるなら、私に話しなさい。まず、あなたのお名前は?あなたが本名を名乗ってから会話はスタートですよ。謂れのない誹謗中傷の数々、記録に残しています。これ以上は許しません。 https://t.co/lBNhSFGZ1M
世の中は楽しいことばかりではありませんがだからこそ、やさしく、やわらかく、朗らかに呟きたいと思っておりました。先程のツイートで、悲しい気持ちにさせしまったらすみません。こんなことをして何になるのかと随分悩みましたが、私が把握する限り2018年からずっとですので、今回に至った次第です。
— 佐藤利奈 (@rinasatoh) 2021年5月31日
…声優粘着年単位と言えば、東山奈央とか、まぁ色々いたと思うんだが、サトリナにも存在していたんだなとか(そんな声優のリプライ欄とか見ないしね…)
言うて、誹謗中傷云々言われ始めたのって割と最近の印象もあり、こういう問題が表面化する度に「誹謗中傷は行けない」というまぁ至極当然な意見が出るわけで、実際その通りだと思うのだが。
批判・批評にも種類が存在する
"正しい批評"をする努力をしよう
”批判”と”誹謗中傷”は全くの別物である
昨今の情勢において、”誹謗中傷”というものに対しての目が非常に厳しい。
まぁ、この誹謗中傷問題、あらゆる事を”誹謗中傷”という物に交えすぎな感は否めないし(自殺の事例が起きた場合に原因は誹謗中傷って言うの最近多すぎやろ、他にもあるんちゃうんか?ってたまになる)、ネットという環境において、”誹謗中傷”という物をなくすのは無理だろうと筆者は考えてはいるが、良くないことであることは間違いないだろう。
間違いなくいけないことではあるし、無くなるべきではある。
それで実際に問題が起きているわけだし、自殺案件などがある以上、許してはならないと思う。(でもなくなるとは思えないなというのが正直な感想)
各所誹謗中傷に対しての対応というのは厳しさを増している状態であり、アミューズなどはその方向性を強めている印象。
声優業界では、やはり響の進藤あまねの事例が記憶に新しい。
他人に対して、人格否定であったり、殺人予告など、そのような事をすることは間違いなく良くないし、そういうものは糾弾されるべきである。
だが、ここにおいてちゃんとしたライン引きがほしいのが、”批判”と”誹謗中傷”の差である。
当ブログはどうしても基本声優ブログの為、進藤あまねの事例をどうしてもこすり続けてしまい、進藤には大変申し訳無いのだが擦る。
(この事例、客観的に見ても分かりやすいので扱いやすいのが悪いのである。
進藤当人に明確な思いも筆者はないし、下手だなあとは思うが、嫌いとかそういう訳ではないのだ。いや絶対に好きではないが。
とにかくこの事例は誹謗中傷云々に関して扱いやすすぎるから使うだけで…)
進藤あまねの事例に関して、確かに行き過ぎた誹謗中傷と取れるモノが複数存在したことは事実であるし、そういうものが良くない事は当たり前の話である。
ただ、当初の進藤あまねは今よりも本当に演技に関しても歌に関しても褒められる点がないレベルで、2020年代にこんな声優が仮にもコンテンツの追加のセンターで出てくるとか、ブシロードは頭が00年代以前に停滞しているのか?という出来であったことを念頭に置かなければならい。
別に『BanG Dream!』の声優が声優全体の中で上手いかと言われればそれはそれで個人の意見があるだろうが(今回の話の本筋とずれるので割愛)
にしても、その中でもダントツで進藤あまねが…というより、Morfonica全体の演技歌唱能力が文字通り終わっていたわけであり、批判されるのは有る意味で当然のことではあった訳である。
とりわけ歌唱を担当する上に当時現役中学生、入所1年以内、カラオケ歌唱に酷い演技でセンターに置かれてしまった進藤に批判が集中したわけである。
ここにおいて考えるべきなのは、『進藤含めMorfonicaの技量に関して明確な不安がバンドリ内ですらあった』という事項である。
結局の所、批判されて当然といえる状況が発生した場合に、全ての批判を”誹謗中傷”として言ってくる人間がどうしても現れるのがややこしいというか、アホな所である。
何も全て事実を言えば誹謗中傷ではないという事はないのだが(ブスでもブスって一々言わなくても良くない?みたいな事)
今回の事例に関しては、声優という演技を中心とする職業において、演技が下手くそな上に、まだ歌唱力があったら今の風潮的に許される(筆者が許すと入ってない)のにそうですらない、しかも全体的に他の人間のレベルもお察しとなれば、そりゃ批判されるし、「下手くそ」と言われることは誹謗中傷ではなく、事実であり批判である。
それは、他と比べた相対的な理由でも良いし、単独での絶対的な理由でもいいが、残念ながら下手くそなのは事実だし、”中学生だから”とか言い訳並べられても、
出てきた時点で年齢は関係な上に、声優においての芸歴と年齢というのはそこまで重要視されないのにこういうときだけ都合よく持ち出されても困るわけだし、今の人気声優も表に出てきたときが中学生なんて声優は割と存在するわけで、それが「下手くそ」という言葉を否定する特効薬にはならないわけで、ましてや誹謗中傷ではないのである。
まっとうな批判と誹謗中傷を同一視し、肯定的な意見しか求めないというのは信者の始まりであり、如何に自分の頭が悪いかを露呈しているだけだろう。
別に進藤あまね含めMorfonicaを好きである事は個人の勝手なのでどうと言う気もないが、あの初期値から多少うまくなっただけでうまくなったとか言わないで欲しい所。そらGGGGGからFFFFFFにはウマ娘でもパワプロでも簡単に上がるだろうよ。
常に『好き』を疑い、『嫌い』を疑おう
肯定と否定というものは非常に難しい物であり、簡単にできるものではないが、やろうと思えば出来てしまうというややこしいモノである。
色々な物に意見を述べる場合、常に考えておくべきことは、自分の中の『好きな物』と『嫌いな物』を疑う事である。
好きな物が本当に好きな物であり続けているのか、嫌いな物が本当に嫌いなものであり続けているのかというのを有る意味で監視し続けることが大事。
言いたいのは『好きな物だから批判しない』であったり、『嫌いな物だから肯定しない』という事は良くないという事。
好きな物であっても、自分にとって嫌な物であたり、良くない動きだったらちゃんとそれには「NO」を言うべきだし、
嫌いな物であっても、それが良い物になっていったり、言い動きをしたらそれはちゃんと「YES」を示してあげるべきである。
意固地になるよりも、ちゃんとその場で評価して「これは良い」「これは悪い」と手のひら返しする方がよほど良いと思う。
それですぐに好きな物が嫌いな物に、嫌いな物が好きな物になったりするわけではない事も多いし、自分の好き嫌いは置いておいて、その事例に対して良いか悪いかというのを、「こうこうこうだから好きだけどこれはダメ」とか言えば良いわけである。
主張を繰り返す人間として、物事をきちんと理解した上で、意見を持つことは大事なはずである。
これは別に主張をする人間ではなくても、大事なことではないだろうか。
肯定するにしても、否定するにしても、そこにちゃんとした理由を提示したりすることが大事であるし、そういう事を心がけることに越したことはない。
そういうのなしの頭ごなしの奴やら、信者の根拠のない擁護やらとかは大いに叩かれていいと思うが、上記のようなモノがちゃんとされている物に対して批判したりする人間はもう放っておけばいいだろう。
以上。