声オタおにじくんの声学審問H!

過激派で有名な(?)おにじさんが、声優の事を語ったり。

声優よ、業界よ、オタクよ、マルチで良いけどまず『声』で『優』れて『演技』だろ。

どうも、これでも21歳、声優老害おにじです。

アンケートをすると7割型声優の事を求められていていたらしいんですけど、そんな需要あるんだろうか?(

 

まぁ買ってますよ、声優グランプリ

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水瀬さんが表紙、まともな声優だ!(

まぁ目当てはこっちです。声優名鑑2020女性編。

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まぁ、今まで買ったことなかったんですけどね。あんまこれに載ってるかどうかとか気にしないし、大したことが書いてるわけでもないし…

名鑑使ってなにか記事書きますね。

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並べた写真は必要だったのかい?

 

ただ、なんというかブログも結構書くようになったし、データベースとして持っとかないとマズくない???となりまして。

いや~いっぱい載ってますね…907人だって。なんというかこれでも網羅できてない声優が普通に存在するのがやべえと思う。

多くの声優がこう名鑑に書かれるくらいのモノには出るという世の中になりつつある今。

その母数に対して、声優の技量は上がっているだろうか…?

 

 

最近の方向性と言えば、『マルチ』という言葉の乱立だろう。

やれソロだ、やれ写真集だ、やれニコ生だ、やれDJだ、小説だなんだととにかく色んな方向性で出てくるのが現状だ。

 

まぁ、過去の自分はこの時点でキレ散らかす所だが、あえて冷静に考えたい。

現状のアニメの本数は減少傾向だ。

というか、今までが多すぎたのだ。アニメーターとかの処遇が色々言われる中、適切な数になっていくことは悪いことではない。

ただ、そうなると声優はひとつの大きな座席が少なくなることを意味する訳で。

 

そういう意味で、ある意味多すぎる声優の現状、そういうマルチ方向に行くのは最早当然とも言えるのかもしれない。

そもそもアニメだけで食っていけるわけでもないし、ナレーションにしろ、ゲームにしろ、他にも多くの仕事があることは昔からそうであろう。

 

ただ、こうそれにしてもマルチの方向性がなんか違うんじゃないの?とはやっぱり思う。

最近、TVでの声優登場は増えてきていて、なんというか声優自体の世間的な立場はある程度向上はしてるような気はするのだが、なんというかそれすら素直に喜べないような気もするし、すっごい複雑なのだ。内田真礼さん存在が消えてましたね…)

 

というか、そもそも声優に対しての『演技がうまい』の概念が少なくなっている上、『演技がうまい』のハードルがどんどん下がっているように思えてならないのは、筆者だけなんだろうか?

 

声優という職業はそもそも、声が資本の職業であろう。

そもそも、日本以外では声優という職業自体が存在しないと言っても良い。(多分)

声優という職業は、役者から派生したある意味特殊な職業だ。

 

声だけでアニメ等のキャラを演じたり、ナレーションをしたり…

まさに声に特化した職業で、声が優れている人間がするべき職業と言える。

だからこそ、声優という職業はある意味もう俳優…役者とは違うベクトルに演技の概念は進んでいるように思える。

 

俳優と声優の演技の根本的違いは、演じている人間の外見が見えるか見えないかだ。

この違いは、あまりにも大きい。

 

外見が見えるメリットは、演じている人間の表情や動きがそのまま見えることだ。

これにより、演じている人間の感情が視覚情報としても100%入ってくる。

これは演じているものとしては使える武器が多いと言える。

演技でそこまで露骨な動き等をする場面は多いとは言えないが、小さな素振りや表情で、演技においての印象は大きく変わってくるからだ。

 

逆に外見が見えるデメリットは、人の外見は大きくは変えられないことだ。

極端な話をすれば、男が女の容姿になることは無理があるし、

子供の役は子役がやらないといけないし、

おじいちゃんやおばあちゃんの役は特殊メイクでもしない限りその年齢の人間がやる必要性があるという事だ。

出来る役が容姿によって固定されやすいという所であろうか。

 

 

では、逆に外見が見えず、アニメ等になるメリットとデメリットとはなんだろう?

 

外見が見えないことのメリットは、演じている人間がどういう体で、どういう年齢で、どういう性別かの情報が分からなくなることだ。

アニメとなれば、その絵のキャラクターが容姿となる訳で。

声だけで演技を行うという事は、性別も年齢も関係なく演じられるという点が最も大きな点だ。

例え演者が同じであっても、声が違えば違う人間と認識することが出来る。

たとえ演じているのが女性であっても、小さい男の子を演じることが出来るし、

たとえ30代であっても、60代のキャラクターを演じることが出来る。

そういう演じている人間の性別、容姿、年齢に囚われることがないのが利点だろう。

 

逆にデメリットはなんだろうか?

それは、演じている人間の表情や動きは見ている側には伝わらないということだ。

メリットに、容姿に囚われる事がないと書いたが、これは逆に言えば容姿や動き、表情は使えないということだ。

アニメの絵の動き等に合わせる必要性があるし、その感情や動きを声だけで表現する必要性がある訳だ。

絵という補助は存在するが、それは非常に難しいことだと思う。

それに、絵にあわせて声を出さなければならないというのも、普通に考えて難しい。

口と声が合わないというのは、違和感となる原因と言える。

 

そういう点で、声優という職業はもはや『役者』というジャンルで形式上同じにいるだけで、俳優とは似て非なる物となり、俳優が声優、声優が俳優がもう難しい物となってきているレベルで、違うものとなっていると筆者は思うのだ。

俳優が声優をやっても、なんか薄いし、棒まであって。

声優が俳優をすると、なんかオーバーだし、わざとらしくなる。

それくらいには、もう違うものになってしまった。

源流が同じでも、全く違う…もはや野球とソフトボールくらいの違いでは収まらず、サッカーとラグビーくらいには違うと思う。

 

だからこそ、声優の演技は、アニメやゲームで心震わす物であって欲しいと、思わずにはいられないのだ。

 

最近の声優は、技量が求められなさすぎである。

コンテンツ声優に、簡単にオタクが食いつき、持ち上げ、人気になっていくのが悪いことばかりではないとは思いたいが、現状悪いことしかないまである。

 

コンテンツ声優の大きな問題は、そのコンテンツ以外の事をしない声優が過半数くらい生まれかねないことだ。

経験がないんだから、そりゃ素材が良くても上手く仕上がらない。

アニメとかが少なくなっているんだから、そうなるのは致し方ないという声もあるかもしれないが、それにしたってやる気がなさすぎだろう。

 

ブシロード等もはやその方向に突き進み続けて何年経つんだろうか。

声優は食えない仕事だから、仕事を自社で与えるという木谷の考え方は大変結構だが、身内でぬくぬくやって、何が伸びるのだろうか?

本当に声優を育てる気があるのなら、思いついた適当なコンテンツに自社連合声優を詰め込む簡単なお仕事などしないであろう。

そもそも、バンドリのライブの頻度が頭おかしいし、二人声優を失っておいて未だにこんな調子でいいのだろうか。

ライブでバンド紹介もしなければ、声優バンドというアイデンティティまで捨ててバックバンドを表舞台に引っ張り出した挙げ句に舞台をさせる等、狂っているではないか。

コロナ対応で持ち上げられつつあるが、今までの行動と失言が全て無になるのだろうか?(今日はそういう話じゃないダロォ?)

 

コンテンツにぶち込んでおいて、後はソロかニコ生チャンネルか写真集で単一で金を巻き上げよう…と考えるのはあまりにも声優という職業から逸脱している。

 

 

また、昨今多くの声優がソロデビューしているが、そこに歌唱力を求めているような動きもない。

あるのは集金をしたいという欲求だけである。

特に昨年のソロデビュー等地獄極まりなかった。

もう歌がうまい人間なんてある程度デビューし尽くしているのだ。

まともだったのはこいつ絶対歌上手くないだろと思ってたら意外と形になってて「ごめん俺が悪かった」となった富田美憂くらいで、

一番期待した鬼頭明里も「え~お前もうちょっと上手いと思ってたわ」と思うくらいにはそんなに上手くなかった。5000枚以上売れたけど。なんか人気っぽいけど、えぇ…

それと和氣あず未がソロデビューするこの業界はいかんでしょ、1曲目マジで酷くて泡吹いて倒れそうになった(2、3曲目はまだまし)、お前が村川の後なんだよな?(村川のソロは別に好きじゃなかった模様)

2020年はまだ鈴木愛奈楠木ともりがいるから例年よりはマシの予定だ。

 

座席が少ないのに声優が多いから、アニメに出れない!ゲームに出れない!だからコンテンツに座って、なんかニコ生チャンネルで生放送するしかないんだ!

という気持ちが分からないとは言わないが、それにしたって最近の若手の演技力はアニメに多く出ている人間だって良いとは言えないだろう。

 

そもそもの筆者の今や高すぎる理想を話せば、声優のメリットを最大限に活かした最強の声優は、演技幅を持っていると思う。

顔が見えない、容姿が見えないからこそ出来る芸当。

声優という職業だからこそ出来る、演技幅という概念。

活発なキャラから、お兄さんお姉さん、脱力系に、お嬢様、おばあちゃんに、子供…

そんなあらゆる役を一人でする事が出来るのは声優という職業ならではであり、これができる人間こそ、最も評価される声優だと、そりゃもう2014、15年辺りからずっと言い続けているが、時代は逆行し続けている。

 

「この声優はこの声」という概念はいつから生まれたのであろう。

1秒で声優が誰か分かる声になど、最早声優である必要性はあるのだろうか?(誇張表現)

同じ声を聴いて満足しているのであれば、この世からそのうち声優は消えるだろう。

言い過ぎか?いや、でもそれが声優のアイデンティティではないのか?

 

まぁ、もう演技幅に関しては数年に1回天才が出てくればいいか程度には諦めつつある。

演技幅に定評のある東京俳優生活協同組合和氣あず未を数年押し続けているのを見ていたら、ある程度諦めが付いてしまった。

もう演技幅で信頼できる事務所など存在しないという事だ。(いやそれにしてもさっさと俳協さんは和氣の次を出さないとマズくないですか?)

 

ただまぁ、それにしても演技力という声優に置いて最低限維持しなければならない点まで落ち続けているのは、もはや笑い事ではないだろう。

ここ最近の若手声優は、演技力がマジで怪しいと思わないだろうか?

 

簡単に言うと薄い。

コイツいっつもこの声だな…とか、

こういう条件だと声が違うくなっちゃうよなあとか。

 

これはまぁ同じ声ばっかりやっているのも原因だが、とにかく演技においての重みと厚みと情報量が足りない。

息遣い一つでも、演技の強さは変わってくると思い続けてきたが、それがなんというか平坦なのだ。

 

確かに、キャラ声というのはそういうのが出しにくいのだが…

それにしても、最近なんか演技で心躍るような事がなくてめちゃくちゃ退屈である。

これでは、女優と大差なくなるのではないか?と危惧しなくてはいけなくなる。

 

具体的にどうダメなのかという話を、こう言って分からない人間に言うのは非常に難しいのだが、

声が可愛いとか特徴的とか、そういう話ではなくて、

そのセリフに対しての感情の表現の所の話であって…

声優の演技というのは、若干オーバーという話をしたが、それこそ例えば『息を呑む』という動作において、

アニメでは「…っ!」みたいに声を出すことが多い。

実際はそんなに大きな音は出さないのにも関わらず…だ。

 

声優の演技というのは、そういった点で非常に特殊で、そういうセリフ一つ一つにおいての感情の情報量が、普通よりも多いのだ。

…上手く表現できている気がしない。

 

声優という職業が表現するべき表現は、「喜び」とか、「悲しみ」とかいう単一表現ではない。

「悲しみが3で喜びが7」とか、そういう複合的な表現が多くなる。

この面において、特に最近の若手声優に置いて物足りないと感じる事が非常に多い。

単一の表現が一定以上存在しても、そこから複合になるととたんにバランスが崩れる声優も存在しないとは言えないだろう。

 

まぁ具体例を上げるなら、2018-19年で最も声優選択が正しかった青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』から出しますかねえ…

でもまぁそうなると結局種﨑敦美(東京俳優生活協同組合)に帰結するんだけどね。

というわけで、8話の後半見てれば分かるっての…で、皆分かったら苦労しないから、できるだけわかりやすく言うかぁ…でもなあ…分かりやすいってなんなんだろうね。

最初は「だったら…なんであんな写真…!」のシーンが良いかなあって思ったんだけど、上手いこと説明できる気がしないのでやめた。あそこもすごいけど。

 

というわけで今回は、

 

「私も花火行きたい」

 

のセリフ周辺に絞ってお話を。

ここのシーン、双葉理央(CV.種﨑敦美)の分離が終わるシーンに繋がるわけだが、

『花火に行きたい』という趣旨のセリフが3つ存在する。

 

1、「花火、私も行ってもいい?」

2、「わ、私も花火行きたい」

3、「私も一緒に花火行きたい」

 

の3つだ。

前者2つは主人公である梓川咲太(CV.石川界人)に。

最後は分裂したもう片方の理央に言うセリフだが、この同じようなセリフの感情が全部違う上に、その情報量の高さが凄い。

 

まず1個目のセリフだが、自分ではなく咲太に『いいよ』という同意が欲しい感じの台詞になってる。

非常に声も弱々しいし、伺っている感じが凄い出ていると思う。

あと凄い細かい話すると、すげえ上手い声優って息の使い方が天才的に上手いんだけど、ここでは「花火」の「は」の前に息が入りながらなめらかに「は」に繋がるんですよ。

この息の入れ方が非常に不安感を演出するというか、躊躇している感じを出すことが出来るんですよ。

 

2個目のセリフは、咲太に「そんな言い方じゃダメだ」と言われた後に言うセリフになる。

ここでは強引に自分の意志を引っ張り出している感じになってると思う。

その中でも若干の躊躇があるのが、「わ、」が最初に入る所。この『わ』がすげえ上手い。(小並感)

『わ』の一音なんですけど、『わ』じゃないんですよね、正確に言えば。

なんかはっきりとした発音ではない感じになっている…("ぁ"とかそういう感じの物が付随されている)そこに、一瞬の躊躇を感じ取ることが出来るんですよ。

それでいて、「行きたい」の『たい』の所で息が凄い入るんですよ。結構勢いよく。

それによって、『わ』の躊躇から、それを振り切って自分の意志を強引に引っ張ってきた、勢いでぶちまけた感じがこの一連のセリフに出るんだよなあ…天才か?

 

そして最後、公衆電話でもう一人の理央に言うシーン、これで分裂が終わる所。

息を吸ってから「私も一緒に花火行きたい」というセリフになる。

今までの2つとは大きく感情が異なるというか、躊躇というものがない感じになっている…覚悟が決まった。そう感じさせてくれるセリフだと思う。

それは息を吸うという演出の点でも、その印象を高めてくれているが、

それに対してのセリフの言い回しが非常に上手いと思う。

いつもの双葉理央よりもちょっと早口、そして一息で言い切るという所。

そこにいつもよりもはっきりとした、意思を感じる声を合わせる事で、演出も相まって非常に印象深いシーンとなってる。

「行きたい」の『たい』の息の入り方が二個目のと全く違う感じなのも、ポイントかな。二個目にあった荒々しさとかそういう感じではないじゃないと思うし。

 

なんだこの説明!?(自分でも細かすぎてヤベーなと思っている)

というか青ブタイベ前に書いたけど、ここイベで出てきたからいいねってなった(

突き詰めすぎたオタクはこういう事を喋らせ始めるとヤバイって事が分かりましたね(白目)

 

ちなみに、双葉理央さん、一話とか序盤はちょっと声が高めだったりします。アジャストが途中で効いている感じ。なのでEDの声が高めなのはそういうのも原因だったりする。

 

 

まぁ、とりあえず青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』とか見れば分かってくれないだろうか。

感情を爆発させる場面の時に、胸に来るものがあるのだ。

それでいて、心の中の微妙な心境まで、声で伝わってくる気がしてくる…そういう声優が、演技力が凄い声優だと、筆者は思い続けている。

そんなアニメないよなあ…と思っている所に青ブタの映画があったからめちゃくちゃ興奮した上、公開日にガルパン最終章を見に行ったのを後悔したのである。

でもアレを勧める上で、アニメ版を見てもらわないといけないのが難点だ。

まぁアニメ版も普通に凄いから、それで良いんだけど(劇場版前提なのとちょっと展開早いのが難点)

 

声優という職業が転換期を迎えているという言い方をすることも出来るとは思う。

しかし、だからといってアイドル声優が一番評価されるようなことがあってはいけないだろう…と思っている。

可愛い容姿、可愛い声、特徴的な声…それだけが揃えば人気が出るのなら、声優とおう看板を背負わせる必要もないし、脱ぐ必要もないのだ。聞いてるか伊藤美来

 

だからといって、一番そういうしっかりとした声優を評価すべきであろう、声優アワードも腐っている。

そもそもなんで声優を評価するという賞で、81プロデュース枠を前提で考えなければならないのか。(お前の所素材良いのいるのにぜんぜん違う奴売り出すから信用できねえんだよなあ…)

まぁ声優アワードに関してはこの前書いたしいいか。

 

oniji.hatenablog.com

 

コロナで授賞式中止だけど、そもそもあの忖度アワードで(

 

事務所にしろ、媒体を動かす企業にしろ、もはや声優でさえ物事を売り出せなくなりつつある。

数年前は、あらゆるコンテンツで声優名が大きく表示され『声優の名前で売ろうとしてるんじゃねえぞ!』という批判がたまに見られたが、

今やコンテンツは、楽曲制作者を前面に出して、コンテンツを売ろうとしている。

新人声優を使用しているコンテンツが多いとは言え、もはや声優の名前でさえコンテンツを売れなくなってきているのは、最近のモノを見ていれば容易に理解できるだろう。

 

効率の良い金の回収が出来るのが現状の方法なのだろうという一定以上の理解はしているが、それにしても声優本来の方向性をちと見失いすぎではないだろうか?

それで上手いアニソン歌手とかにいい曲が回らなければ、そこら辺一体が一気に崩れてもなんら不思議ではない…!とまで拡大解釈できてしまう。

アニメの座席が減ったからと言って、もはや一部の声優を最初から介護しているかのような構図になりつつあり、その介護されているの声優がそんなに上手くないという悪循環がずっと回り続けている。

 

 

…というかそもそも、こういう商法についていく人間がいるのが問題ではあるのだ。

もはや声優に何を求めているのだろうか。

やれ顔面だ、脱げだ、どういう頭をしているのか真っ二つに切って思考を拝借したいくらいには逆に興味はあるが。

そもそも声優が写真集を出すことがおかしいというのに。声の要素どこ行ったんだよ。写真に音は入らないんですよお客さん。

 

それでいて脱げ、水着を着ろ。というのは窓口を間違えてますよ。という感じ。

そもそも脱いでるのがおかしいのだ、お前ある程度年食ったの省いてまともな所が脱いだ写真集なんて出さないでしょ?

出すのはスタイルキューブだの、クロコダイルだの、ブシロード関連だのでしょう。

そもそもその人で写真集出す必要性ある?って人でやるしもはや何をしたいのだろうか…

 

そして、こういうのを求め、脱ぐことを強要する人間はなんなんだろうか…

アレはもはや声優とオタクではなく、風俗嬢とそのお客みたいなモノではないだろうか。

 

 

別に、顔が良い声優がいてもいいし、もはやマルチの方向性は変えられないだろう。

実際、マルチをして成功している声優も存在するし、そういう考え方が100%悪などではないとはやはり言わねばならない。

 

しかし、声優の根底としていちばん大切な要素が『演技』である事を念頭に置かないと、もはやタレントや俳優女優と大差ないものにならないか?と危惧しているのは、自分だけなんだろうか。

 

勿論この記事を読んで、「そんな事はない」と不快に思う人もいるだろう。

でも、こういう事は言ってこそだとは思わないだろうか?

好きと嫌いだけで生きていければ楽だろう。

今の声優の大方の売り方が嫌いだ。で終わらせてしまえば楽だが、それでは進まないと思う。

だからこそ、こういう文章を書くわけだし、こうこうだからダメと書く訳だ。

薄っぺらい主張や、軸がブレた主張など、説得力を持たないからだ。

 

うまい声優はいる。確かに存在する。

それは間違いないが、母数に対して少なすぎる上に、売れているとされている最近の声優の次元があまりにも低すぎる。

ある程度の有能が、顔が良いからそっちの仕事をさせられる。

声質ゴリ押しだ、アイドル声優だ、並が凄いと言われていて、本当にだめだこりゃ…と思うのが自分だけだろうか?

 

伸びない声優、無能な事務所、無能な大企業に、忖度アワード、ちょろすぎそんなに脱いでほしくて接近したいならアイドルかグラドル推しとけよオタク…

 

推しているのは、声優?性優?身体優?

 

時代は変わったと言えばそれまでだが、本当にそれでいいのだろうか。

彼氏がいるだの、結婚だので騒ぐような職業だろうか?声優はいつからアイドルになったのだろう。

そんな事を気にしている人間が多い時点で、演技という概念がいかにおざなりにされているかを感じずにはいられない。

 

声優よ、業界よ、オタクよ、声優で最も重要なのは演技だ。

清純さも、容姿もいらない。声だ。

声優は「声」で「優」れるで声優なのだ。

声で優れ、声を磨き、声で一般人の心を震わせてくれ。

 

日本の独自の職業が、低俗な職業に飲み込まれないことを、切に願う。

筆者は21なのだが…なんでこんな老害みたいに…(