ちゃろ~、おにじです(激寒)
筆者がやったら声優過激派ではある訳ですが、今回はそんな人間の声優論系の記事を。
声優という職業において、優劣を付けるのはいかがなものか?
と言われればそれまでの話だが、やっぱり筆者としては『上手い人に上手いとちゃんと言いたい』という風に考えている所はある。(だって他言わないでしょそういう事)
そういった意味では、声優過激派というポジションは、『何がどうなれば上手いのか?』と考えていく必要性がある訳である。
それは逆に『何がどうなれば普通なのか?』というところを考え、その逆説的に『上手い』の定義をしていく事も、また然りという事になる。
これは別に、プロの声優に対して『下手くそ』と言いたいわけではないという事を、常に言っておきたい。(いや人気の割に下手くそだなとか思う時は普通にあるし、そういうのは普通に言いますけども)
筆者はただただ、世間的に評価されない気がする演技がうまい声優をちゃんと褒めたいだけなのである…
その『定義』を考えていく中で、一つの仮説に行き着いたので、それを書いていきたいと思う。
あんまり長くならなさそうな気がするけど…(なおそんな事はなかった)
今回は、『プロの声優なら可愛い声『一つ』は誰でも出せる説』と題して、『声幅がある声優』の定義への一歩を目指していく。
筆者は前からダウナー系プロの声優なら誰でも出来る論者
さて、本題に入る前に筆者はこれまで常々言い続けてきた事がある。
『ダウナー系、低音系、無口系と呼ばれるあの辺のキャラはプロの声優なら誰でも出来る』
という物だ。
ダウナー系、低音系、無口系というのは、文字通り喋る回数が少ない事が多い点もそうだが、
低くボソボソを喋れば成立する、という点は否定できないポイントだ。
勿論、ボソボソ喋るだけでは成立しない場面も存在するだろうが、基本的にはその場合が多い。端的に言えば、『ボロが非常に出にくい』という事になる。
基本、プロの声優になるようなアホほど激しい競争を勝ち抜いてきた精鋭の中であれば、滑舌や発音の部分で躓くような人はほとんどいないだろうし、感情面が殆ど出てこないキャラであればある程、
『演技力』という面での差を非常に出しにくい。
『誰でも出来る』という表現は、『差が出にくい』から、多少演技力や演技幅が劣る声優であっても、違和感を感じにくいから…という筆者の理論である。
ただこれは逆に言えば『ダウナー系、低音系、無口系で違いを出せる声優は非常に強い』という事である。
"違和感がない"というハードルは低いが、
"上手い"と思わせるハードルは高い。という事だ。
世間的には『ダウナー系、低音系、無口系』は声幅の範囲に入り、「全然声が違う!」と言われることがあるが、"違和感がない"程度で声幅の範囲に入れるのは、上のレベルでやっている声優に失礼まである。
誰でも出来る程度のレベルで褒めている事に単純にイライラするし、その程度で満足するなよ、声で優れるのが声優だろ?と思う筆者は声優過激派である。
…さて、この論だけでも十分に声優過激派だった筆者だが、今回はもう一段同じような論に辿り着いてしまった。
一つのボイス動画から出てきた仮説
ある日、唐突に知り合いから、アズールレーンの花月というキャラクターのボイスを投げられた。
この花月というキャラクターを演じているのが、黒木ほの香である。
黒木ほの香という声優をご存知だろうか?
あのスターダスト・プロモーションに所属しており、恐らく『アイドルマスターシャイニーカラーズ』の大崎甘奈役が有名な声優。
声優ユニット『サンドリオン』のオレンジとか、まぁその辺であろうか…
この声優さん、素質的には割と筋が良いタイプだと思うのだが、
まだまだ経験とスキルという意味では不十分なところも多く、1つのセリフ内での『笑い』とか『ちょっとした発音』とかで「ん?」と違和感を感じることも少なくない声優である。(甘奈はそういう面が少ないのでいい感じである、というフォローは全力でする)
地味にコンパイルハート系のゲームに呼ばれたり、マーベルのゲームに呼ばれたりしており、そういう所で結構良さげな演技はしてるんだが、なんかたまに違和感を感じる程度の声優である。
素質はあるんだから、スタダはもっとちゃんと使ってくれれば良いのだが、残念ながらそういう事務所でありそうな感じが一切しないので非常に残念なのだが、
\ #いえちこ 参加声優さん発表 /
— いえちこ【公式】 (@iechiko_CP) 2020年7月10日
1日目 黒木ほの香さん
2日目 中村桜さん
3日目 石田晴香さん
4日目 会沢紗弥さん
5日目 杜野まこさん
実施期間 7月27日(月)〜31日(金)
イベント時間 19:30~20:30
※Zoomで行うオンラインイベントです。
※応募には当アカウントのフォローが必須になります。 pic.twitter.com/OnmpCkBzgV
(少なくともこんな事をやっている場合ではないと思う)
今回はそういう話をするわけではない。
この花月、割と普通に問題が無かったのである。
まぁ普通に可愛い声を乗せればいい役であるが、割とちゃんと可愛いし、違和感も無い。
それこそ人気声優とかとそんなに大差ないんじゃね…?とか思ってしまったらしい。
声優過激派の癖にちょろいですなあお前~wと思ったのだが。
こういう言い方をするのは本当に申し訳ないのだが、この一件で筆者は今まで上手く表現できなかった、声優評価に対する疑問を解決してしまうような説を思いついてしまった。
今まで、こう上手く言語化出来ずに苦しんでいた部分を解決できる仮説である。
それが、
『プロの声優なら可愛い声『一つ』なら誰でも出せる説』
である。
女性声優において、一番多く求められるというか、プレーンな声は一体なんだろうか?
と問われた場合、前述のような『ダウナー系』と答えるような人間はまぁいないだろう。
ほぼほぼの人間が『可愛い女の子の声』と答えるのではないだろうか?
そう、一番ポピュラーな、プレーンな声というのは『可愛い声』なのだ。
こんな当たり前の事を筆者は難しい事ばかり考え過ぎていたらしく考えついていなかったのだ。
現在、あらゆる女性声優が活躍している中、『可愛い声出せない声優』とか、おる?
(最近見てるYoutuberに影響されてるぞお前)
一番求められ、一番使われる、一番テンプレート1みたいな、MSPゴシックみたいな、Internet Explorerみたいな物は誰でも初期装備なのでは?(そこでInternet Explorerは馬鹿にしてない?)
プロになる声優ならば、それってもはや"当然"なのでは?
…筆者は声優評価への新たな突破口となり得る物を得たのではないか?と、この"当然"に対しての評価を考える。
再考すべき『ワンボイス型』への考え方
声優において、『ワンボイス型』という者が存在する。
世間的には"一つの声に特化した声優"とかいう都合の良い解釈をしている人間もいるのかもしれないが、
筆者からすれば、そのワンボイスがドチャクソ良い以外の『ワンボイス型』はただの『職業[ここに特定声優名を入力]』の所があり、半分蔑称まである感じである。(ドチャクソ良いタイプのワンボイスは普通にいいと思うよまぁ)
まぁ、麻倉とか伊藤美とか小倉とかその辺の事だ。
まぁこの辺の当初の前提の声優というのはマジで何やっても同じであるというニュアンスが強かった。
まぁこの辺って、マジで前述されるダウナー系やるだけで「声全然違う!!」って言ってくれる盲信者のガードがクソ硬いので世の中が消える事がないのも知っているが。
別に声優側に嫌悪感はない(ないとは言ってない)けど、そういうクソみたいなオタクには一秒も早く社会的に死んでほしい物だが、それは置いておいて。
この『ワンボイス型』という考え方をもっと詳細に考える必要性があるのではないか?という話だ。
今までは、『ダウナーは一定以上は声幅からは無視して考える』程度で済んだ訳だが、
『可愛い声というのは一つは出せる』の理論が加わると、ちょっと複雑になってくる。
別に前述のような具体例には何の影響も無いのだが(影響が全くない事が恥なのだが)
他の様々なキャラをやっている声優でもこの理論によって、『キャラタイプによってはワンボイス型である』という言い方が出来る様になるのではないだろうか?
まぁ端的に言えば
可愛い声にバリエーションのない声優って実は比較的ショボいのでは?
ということである。
勿論、筆者はそもそも男だし、まともな演技なんて出来たもんじゃない立場だから、こんな事を言い出すと、一部オタクにキレられてしまいそうだが、まぁそんな事は良いのである。
そういうのは今海の向こうで言われている『黒人の役は黒人がやるべき!』とかいってるのと同類まであるだろもう。
一番ポピュラーで使われる声は一つは装備しているのが当然。
となれば、『一つしかない』声優の場合はどう評価するべきなのだろうか?
これも、ダウナーの時に明記した『その程度』に該当してしまうのではないだろうか?
そして、今の声優は割とこれに該当してしまう声優って少なくないような気がする。
割と可愛いの引き出しはちゃんと持っている声優って意外と貴重じゃね?
この指標は声優の評価をする上で詳細で、正確な物にならないだろうか?
今までの考え方では、『複数の可愛い声を出せる声優』をある意味軽視してきたのかもしれない。
最もポピュラーであり、最も使われる声の種類が一種類なのは厳しい物がないだろうか?
勿論、分かっていても良い声とかいう伝家の宝刀みたいな物が有ればいいが、そんな都合の良いものは中々ない。
誰も藤川球児のストレートは投げたくての投げられない訳である。
まぁその辺の適当なピッチャーのストレート程度で満足しているオタクが多く存在するのもこれまた事実だが。
こういう話をすると、最近の声優業界の声優の過多ぶりを根拠に『声優は声の分業化が進んでいるんだ!』という声が上がる場合がある。
確かに、今の声優業界の声優の数は過多だし、数少ない椅子をどうぶんどるかの戦いになっている事は否定しないし、分業化がある程度進んでいる感じがあるのも否定しない。
しかし、分業化で声の幅が使われなくて損している声優なんて、早見沙織とかそういうレベルの声優くらいだとも思えるし、
本当の有能声優はそんなもん飛び越えて色んな役をやっていると思うのだが。
(勿論こういうの書いてる途中で、声優への金の回り方の問題に関してのツイートとかも見たわけで、ああいうのを見るとまぁなるほどなと思う所もあるし、そういうのも関係しているとは思う。ただ、あのツイート一つをうのみにするのもなあ…とも。時間計算が割とガバガバっぽいように筆者には思えたし)
あと、分業化が進んでいるにしても、キャラクターの特性の傾向が近くてもワンパターンの声ってのは普通にダメじゃない?
『全く同じキャラクター』なんて存在しないはずなんだから、ある程度のバリエーションは必要…ではないだろうか?
近いパターンにキャラクターをはめ込むのは、それはキャスティングとしてベストにならないように筆者は感じる。
声優がキャラを選ぶのではなく、キャラが声優を選ぶべきなのである。
このように考えていくと、単純な『高い』『低い』などの引き出しだけではなく、
よりその声のカテゴリの中の前後の引き出しという部分でも考えていく必要があるように感じる。
『ダウナーに騙されるな!』に、
『可愛い声に騙されるな!』が加わる形である。
なんだこの女悪役みたいなフレーズ。
その視点で考えていくと、筆者が漠然と抱いていた事とかも多少言語化が楽になるように思える。
例えば、今人気絶頂を迎えようとしている鬼頭明里も、この二つの論を当てはめると非常に微妙である。
最近『まちカドまぞく』の千代田桃からのダウナー傾向が『安達としまむら』や『FGO』にて出ているが、そのダウナーは平凡というか、全部同じような気がするし、
可愛い系は『ブレンド・S』や『ひとりぼっちの◯◯生活』等ががあるが、どうも可愛い系の声もあんまり大差がない。
『私に天使が舞い降りた』は声が違う気もするが、アレはロリだからまたタイプ違うので、ちょっとアレを入れて否定するのは無理くり感もあるし、この方法で違うというのは当人にそれこそ失礼な気がする。
一番作品としては跳ねた『鬼滅の刃』はそもそも喋ってるのかって話だし…
う〜ん?…と思っている筆者にとって、少し自分の中のモヤモヤを言語化しやすくなったように思える。
ここの言語化が割とできるようになってくるといよいよブログでちゃんと声優の好き嫌い、物足りない、上手い、もっと評価されるべきを直接的にドカンと書く記事が現実めいてきたわけだが…
(この筆者は今年の声優アワードの主演女優賞で、「どうせ鬼頭」と連呼しながら発表を待ち、古賀葵が出てきて「勝った!」とn回連呼した人間です)
あと古賀葵さんが主演女優賞を獲った時の反応です。 pic.twitter.com/sLWCQsvHJV
— \兄抉@おにじ㌠/ (@_oniji) 2020年3月7日
逆に言えば、そこそこの人気(めっちゃ人気声優ってわけじゃないの意)でもそういう細かい点を押さえられる声優は存在するわけで…
例えば、渕上舞とかは中高生でありちょっと高めという傾向が比較的近い系である西住みほ、北条加蓮、四葉ありす辺りの微妙な声の演じ分けなどは割と秀逸だと感じる。(まぁ暗殺教室の潮田渚とかみたいな声も出せるから普通にそこそこ幅自体もあるのだが…この人地味に有能なんだよなあ…)
あとは、照井春佳の結城友奈、高嶋友奈、赤嶺友奈の3人の友奈や、夜ノ森小紅の演じ分けに関しても、特に友奈3人辺りは良くやるなあと思う。(照井は登板回数が少なすぎてこれが正確なのかが確信出来ないのが欠点なのだが)
この辺りの人気が絶頂とまで言わないであろう辺りの声優の微妙な演じ分けに関して、改めて評価をするべきなのではないか?などの新たな疑問が生まれてくる。
この説によって、改めて人気と実力というか、そういうところは切り離して考えないと、
バイアスのかかった評価になってしまうのではないか?と筆者は危機感を持つことになった…
まとめ
今回は声優の評価に関しての仮説を立ててみる事で、自身の中での評価に関してよりハッキリとした説明ができるようになったのではないか?と思っている。
筆者にはまともな演技はできたものじゃないし、こういうのは『オタクの勝手な評価』であり、『上から目線の評価』である事を否定しようとは今更思わない。
しかし、このような”評価”をするようなオタクは何万といる中で、
そういうオタクがちゃんとこのような点をしっかり見る目が持てているのか?と疑問を呈したい。
業界云々も勿論言いたい所だが、オタク含めての声優評価の傾向には最早疑問が多すぎる。
なんで演技云々言わんのだろうか。まぁうん、ある意味イベント無くなってるんだから見つめ直す時期だと思うよ、うん。(筆者は対してイベントに行ってないくせにこの時期に見直しまくっているらしい)
業界の方向性云々にも勿論言いたい事はないとは言えないのだが、(というかまぁあります)
そもそもの受容側の目がどうなっているんだ?と思わなくもないのである。
声優という物を見ていく中で見るべきモノがなんなのか、改めて考えさせられる仮説ではなかっただろうか?
筆者はこれからも声優に関しての評価の言語化を行い、説得力のあるモノを言っていけたらと思う。
…そうじゃないと『好きじゃない』『嫌い』と言っても怒られそうなので。(言ったところで怒られないとは言ってない)
以上。